【第五回・将軍直伝の寺子屋】〜家紋について語ろうぞ(前編)〜

日記

【第五回・将軍直伝の寺子屋〜家紋について語ろうぞ(前編)〜】

コロナなる流行病にて遠方にはいけなくなった

定期的に江戸(渋谷・道玄坂)にて開催しておった「schoo」なる学び舎での講義も叶わぬ

さりながら、伝えたきことは依然あり、伝える法はどれだけでもある現世

ではこの際形を変えて皆には復習を兼ねて振り返り講義を届け、

流行病収束の暁には、皆がよりわかった状況で講義が受けられるよう

ここに記して参る

叶えば連続十二講座をまとめて参るでな、しっかと愉しむがよい

講義(前編)

もくじ

 

 

 

 

此度は、一から五を説明して参ろうぞ!

 

 

 

 

まずは、家紋といえばお主たちは何を思い浮かべる?

家のしるし?

花や植物のイメージが強いわねぇ

うむ、なるほど
皆々家紋と言うのがどういうものかというのは分かっておるようじゃな
では、進めて参る!

 

 

 

一、基礎知識

まずは家紋の基礎知識から。。。
家紋というのはそもそもなにか
一族いわゆる家を象徴するものであるんじゃな
どこの文化と言う事なんじゃが
これは大陸から渡ってきた文化と思われておるが
実は日の本独自の文化なんじゃ
そして誰のものであるか、
これは日の本全国民が所有するものじゃ
いつ現れたかというと、平安の世
貴族たちの間で使われたものなんじゃな

二、天下人の家紋

まず有名と言えば織田信長殿じゃな
信長殿はこの木瓜紋。。
木瓜と言うのはの書く
要は瓜を真っ二つに割りその断面を記したとされるんじゃが実はそうではないんじゃ
これは鳥の巣を上から見た図なんじゃな
織田信長殿は家紋を使い分けておったんじゃ

実に7種類以上の家紋があったわけなんじゃ

有名なのはこちら織田木瓜紋
自分の家の自尊心を現したとされておるんじゃな
要は坊チャン感を表しておった
何故かと言うと織田家と言うのは裕福だったのじゃ
そして代々、神様に仕える家柄ということで家柄の良さを表したんじゃな
これはと言う文字なんじゃが
要は我に敵なしという意味なんじゃ
これは現世の言葉で申せばオレ様感を表しているわけなんじゃな
次は
永楽銭
経済が武器であると言うふうに先進的な考えを持っておられたわけなんじゃ
これはいわゆるイケイケ感
平家蝶
これは源平交代という考え方があったわけじゃ
要は足利家というのは源氏である
ゆえに足利家を倒し新しい天下人になるぞということで平氏を信長殿は名乗ったわけじゃ
平氏というのはこのように蝶の家紋を付けるわけなんじゃな
このように信長殿は使い分けておった
では、天下人の家紋
儂、徳川家康はどうかというと。。。
どのような家紋を使ったと思う?

 

四つ葉の葵?

三つ葉じゃな。。

これじゃ!
実は儂も5種類以上の家紋を使い分けておったんじゃが
それらを使わず、1つに統一したわけなんじゃ
いろいろなところで様々な家紋を使い分けておったら
天下人の象徴となる家紋が活きてこない
戦略的に使ったわけなんじゃな
この紋所が目に入らぬか
儂の孫の世代には圧倒的な存在感であった

見るだけで圧倒されます

 

人生楽ありゃ苦もあるさ~

 

 

三、家紋の謎

家紋の謎
魚の家紋がないのは何故か
三百種類ある家紋分別の中、動物家紋が三十のみ
後は動かぬ生物のものが多かったんじゃな
魚類は1つもない
これは江戸時代には家紋帳というのがあって
この帳簿に書き記されているんじゃ
魚類はその項目だてにも使用する家がなかったのじゃ
何故かと言うとそれは縁起が悪かったからじゃ
しかし、めでたいや出世魚のなんかは縁起がいいと思うじゃろ
さりながら
俎板上の鯉と言うように
捌かれる斬られるという、人が嫌う意味が含まれるということで避けられておったんじゃ

なるほどです

四、菊紋が国章?

そして菊紋というのは国章とされておるわな
菊紋が国章、、実は正式な定めはない
菊の紋と言えば陛下の紋で有名なんじゃが
法令上、定めはない。
さりながらそれに準ずる存在であるということ
菊紋菊紋と皆が言っておるが正式名称が実はあってのぅ
十六葉八重表菊と申すわけなんじゃ
これを菊紋と言っておるわけなんじゃな
菊紋の中でも特別な存在なんじゃな
いつ始まったのかというと
これは十一世紀
後鳥羽天皇陛下が扱われたことが始まりなんじゃ
刀を作ったのじゃ、その刀にこれかっこええと付けたんじゃ
それが始まりと言われておる
天皇家の家紋になった故に
その後貴族たちにも忖度し、使わなくなっていったわけなんじゃ
ちなみに毛利家や豊臣家は実はこの菊紋を下賜され、権威を誇示したのじゃ
天皇家とつながりがあると言うことでのぅ
儂、徳川家康は断ったわけなんじゃ
何故かと言うと
我が徳川の葵紋の価値が高まるようにと菊門を使わずに全て葵紋に統一したのじゃ
そして京都にはこんな歌ができるようになった
菊よりも葵祭りの厳重さ
要は菊紋よりも葵紋のほうが格式が高いよっという話なんじゃな

今でも葵紋は誰でも知っている家紋の一つですもんね。

それって本当に凄いことですよね。

五、庶民への広がり

庶民への広がり
実は江戸幕府は名前をつけたり刀をさしたりすることは一切禁止しとったのじゃが
家紋の使用は緩やかであって皆勝手に致せといったものなんじゃな
ゆえに士農工商といって身分を分けた
まず武士は従来通り使え
商人はのれんに記したものを家紋にしていったわけじゃ
工のものたちは銘や印
農民は何の意味もないのに付けたんじゃ
現世の言葉で申せば
これやばい(かっこええな)~付けよう
至って装飾の意味合いが強かったわけなんじゃな。。。

やばいって(笑)

何か家紋って面白いですね。

そんな感じだったのかぁ

 

 

 

 

 

以上、~家紋について語ろうぞ〜であった!!

 

家康

 

コメント

  1. 結月 里洋(ゆづき りょう) より:

    様々な想いがこもってますね!!

  2. 香織 より:

    家紋にも色んな種類があって面白いですね(〃’υ’〃)
    葵の御紋が菊の御紋より格式が高い?のもすごいです(〃’∇’〃)
    京都に葵祭ってありましたよね?もしかしてあれも徳川家と関係があるのでしょうか、、?(〃’ω’〃)フム-?

    でも家紋ていうと花のイメージがありますけど色んなデザインがあってその一つの家紋の中にぎゅっと意味が詰まっていてその家やその一族?を表現して強い想いも込められて作られてるのかなって想うと家紋はお守りみたいな存在なのかなて想いました(〃´υ`〃)

  3. 相州姥桜 より:

    此度も大変に興味深いお話をありがとうございました。

    織田木瓜が『鳥の巣を上から見た図』とは驚きでした。
    織田様の土地では胡瓜を食べないとか、あれは歪曲した礼儀ということになりますかね(^o^;)
    家紋は意匠としても素晴らしく、現代でもファッション感覚で用いられていて楽しいです。
    四つ葉の葵も面白いかも(笑)

    後編、楽しみにしております。

タイトルとURLをコピーしました