惣平、名古屋を紹介する!
皆様!
惣菜の惣に平で惣平でございまする!
雨の日が多く外に出るのも億劫な日々が続きまするな。
そのような方は、ぜひ名古屋おもてなし武将隊の名古屋紹介の日記帳を読んで下され!
外に行かずとも、名古屋の名所に行ったような気分を味わうことができまする!
そして、いざ外出する時はよき友になるやもしれません。
拙者も、皆様に楽しんでいただけるように名古屋の良きところを紹介していきまする!
それでは、今回拙者が紹介するのは…!
三輪神社
大須商店街を上前津の方へ歩いていき、赤門交差点の手前の路地を北に曲がると、
先ほどまでのにぎやかな商店街の雰囲気とは少し違った街並みがあり、
次の路地を東に曲がると、その街並みに溶け込んだ三輪神社が現れまする。
敷地はそこまで広くありませんが、見るものが多く魅力あふれる神社でございまする。
拙者が名古屋の名所紹介をする上でここは外せませぬ…!
「しょうるうむ」や「つぃったーらいぶ」にて皆様に紹介を行ったこともあり、
拙者にとって思い出深い場所でございまする。
本当はもう少し、趣向の違う内容で名古屋の街を紹介しようと考えていたのですが、
初回ということもあり、どうしてもここだけは改めて紹介をしたかったのでございまする…!
それでは、さっそく紹介をしていきまする!
御由緒
三輪神社がいつ頃できたかというと、
元亀年間(1570年から1572年)に牧長清様(まきながきよ様)が奈良県桜井三輪町から現在の矢場町にあった小林城に移った際に、生まれ故郷の三輪山に鎮められていた大物主神を三輪神社にて祭ったことが始まりでございまする。
元亀元年(1570年)というと金ヶ崎の合戦があった年…!
拙者は二十五歳でござりました。
信長様が越前を治めていた朝倉家を攻め滅ぼすため、金ヶ崎に進軍されていた時に、
同盟相手であり、義理の弟であらせられる浅井長政様が突如裏切り、
朝倉軍と共に信長様を挟撃されたのでございまする。
信長様は何とかこの絶体絶命の窮地を脱せられるのですが、話が長くなってしまいまするがゆえに、
また別の機会に詳しくお話をしたいと思いまする。
御祭神
さあ、話を三輪神社に戻しまする!
三輪神社の御祭神は、
・大物主神
・徳川義宜様
でございまする。
大物主神
大物主神は大国主神の別名で、「日本書紀」や「古事記」に記された神様でございまする。
な…なんと!この日ノ本を創った神様なんじゃと!
いやー、なんともすごい神様を祀られておりまするな。
大国主神…おおくにぬしのかみ…おおくに…大国…だいこく…だいこく…、
だいこくとすると、他の神様で聞いたことがある名でございまする…。
そう「大黒様」でございまする!
神仏習合にて同じ神様として扱うこともあるとのこと。
うーむ、ここらの話は難しくてよくわからんくなりまするな…さらなる勉強が必要でござりまする!
三輪神社でも大黒様を祀っており、神木から切り出した大黒様の像がありまする。
しかしこの像は会員なるものにならんと見れないのでござりまする…。
…見れんとなると見たくなりまするな…!
徳川義宜様
徳川義宜様(とくがわよしのり様)は尾張十六代目の藩主様でございまする。
三輪神社は尾張八代藩主徳川宗勝様(とくがわむねかつ様)を始め歴代藩主様の崇敬が篤く
明治時代に徳川義宜様を合祀されたのでございまする。
歴代の尾張の徳川様にも愛された神社なのでございまするな!
境内案内
今回は、境内の中でも拙者が最も心惹かれた二つを紹介しようと思いまする。
幸せのなでうさぎ
三輪神社にはなんともかわいらしい兎の石像がおりまする。
それがこちら!
良く肥えた兎でござる…これはまさに食べ頃…
いやいやいやいや!いかんいかん!そんな罰当たりなことを考えては…!
…
…
…よし!
この兎、名前を「福兎」と申しまする。
なぜ、兎が三輪神社にいるかというと、
皆様は「因幡の白兎」の話をご存じでござりまするか?
「古事記」にて記された神話の中に、
傷つき苦しんでいる兎を、この大国主神様が救う話がござりまする。
ゆえに、この兎は救われた恩に報いるために大国主神様に付き従っており、
三輪神社でも使いとしてその姿を見ることができるのでございまする。
「因幡の白兎」の話について気になる方はぜひ調べてみて下され!
そしてこの福兎!どのようなご利益があるかというと、
石像をなでると幸せが訪れ、さらに自分の体の痛いところと同じ個所をなでると
痛みが和らぐとのこと…!
うーむ、至れり尽くせり…、ぜひ皆様も撫でに来てくだされ!
しかし、一点注意がございまする!
夏場は体が熱い!
拙者は初めて触った際に思わず大きな声を出してしまい恥ずかしい思いを致しました…。
濡れた手拭いか何かで一度冷ましてから撫でるのをおすすめ致しまする…!
尾張徳川様矢場跡
明暦二年(1656年)この地には矢場がありました。
なぜ、矢場があったかというと…、
江戸時代、京都の三十三間堂では「通し矢」という競技が行われておりました。
この「通し矢」とは三十三間堂の軒下、約120mの間にある柱や床などに矢を当てることなく射通すという競技で、二十四時間に射通した矢の数を競うものでござりました。
全国の大きな藩が競い合い、最終的には尾張藩と紀州藩の一騎打ちとなりましたが、
無念…、尾張藩は敗れてしまいました…。
しかし、負けたままではいられぬと、
三十三間堂を模した矢場を作り、藩の威信をかけ修行を行ったのでござりまする!
その結果、星野勘左衛門様(ほしのかんざえもん様)が一万五百四十二本中、
約八千本の矢を射通し見事天下一になったのでござりまする!
その後、この辺りは矢場町と呼ばれるようになったとのことでございまする。
…
…
…無理ですな…拙者には無理!
まず一日中矢を射通すということだけでもできる気がしません!半日も難しい!一時間も厳しい!
拙者は三十三間堂の縁側にて一日中寝転がっていたい…。
…拙者の話は置いといて
今は矢的の記念碑があり、皆様の目標に見事命中するように祈念されておりまする。
まだまだ見どころ満載!
この他にもまだまだ多くの見どころがござりまするが、
ここで拙者が全て語ってしまっては
実際に皆様が行く楽しみを奪ってしまうというもの…!
少しでも興味を持たれた方は、ぜひ訪れてみてくだされ!
最後に一つだけ追加情報を…!
三輪神社の御朱印はかわいいことで有名とのこと!
御朱印を集めておる人もぜひ訪れてみて下され!
場所
場所は、
愛知県名古屋市中区大須 三の九の三十二
でございまする!
すぐ近くは大須の商店街ゆえに、うまいものを食べつつ探してみて下され!
拙者もまた行きたいのう…。
小さい角
皆様、此度も最後まで読んでいただき誠にありがとうございました。
小さい角(かど)でございまする。
ここは、拙者が現世にて学んだことで役立つかもしれないことを皆様に少しお伝えする場所でございまする。
今回お伝えするのはこちら、
「態々」
皆様、読み方わかりまするか?
…
…
…
…
…
答えは「わざわざ」でございまする。
「態々」漢字で書くこともありませんが、もしかしたらどこかで出会うやもしれませんぞ。
小さき角(門)には小さき福がおりまする…!皆様に良きことがありますように!
それでは、これにて失礼いたしまする。
陣笠隊惣平
コメント
惣平さん、今晩は。
先ずは「小さい角」に読み仮名を付けていただき有難うございました。これは前回吾が「つの」と読んだと書いたからでしょうか(笑)お手数をお掛け致しました。
三輪神社、名古屋にもあるのですね。大国主尊がお祀りされている故に兎、と。なるほど~。天神様の撫で牛はよく見ますが、撫で兎は珍しいですね。しかも夏場に撫でるときの注意まで、有難うございます(*^^*)。
可愛らしいと聞いた御朱印をいただきに、参りたいと思いました。
惣平さん今日もお疲れ様です!
三輪神社、こないだ毎月武将隊見に行った時に伺えばよかったです。。
体熱いの笑いました笑。この時期は危険ですね…!次に毎月武将隊を観覧に行く機会があれば、御朱印帳を持って訪れたいと思います。
矢場町の由来も勉強になりました!
態々って漢字ではあんまり使いませんね…気になって調べてみたけど、態々しという古語があるんですね。言葉も名古屋のことも、知らないことって多いなあ…。
惣平さん、名古屋城へのご出陣お疲れ様でした。
日記帳の更新、ありがとうございます。惣平さんの紡ぐ言葉は温かみがあって素敵ですね。
三輪神社、矢場町のお話、ついったーらいぶでお話されていたのは記憶に新しいです。
改めて綴って頂くとより理解が深まって有り難い!←忘れがちなので
三輪神社、近々行ってみたいと思います。
小さい角は(かど)だったのですね!
(つの)かぁ、何だかかわいいなぁと勘違いしておりました…
態々!確かにからくりに入力してみると出ますね…一つ賢くなりました、ありがとうございます😊
惣平さんにも良きことがありますように。
惣平さん
おはようございます。
三輪神社と矢場町のお話は
Twitter配信でも聞いたので、
改めて聴くと復習の感もあって
よりしっかり覚えられそうです。
三輪神社には行ったことがないので
行って御兎様を撫でてきたいです。
遅れてのコメント、初めてのコメント、失礼します。本日お城で、この日記帳の感想をお話しよう!と思っていたのですが、星の五大老の話に興奮して、つい忘れてしまいました。うさぎや、御朱印のことなどお話聞きたかったー。またの機会にします。
これからも日記帳、楽しみにしておりますね。