大河開始(令和5年)まであと199日
【唐突に始まる家康問答!】
趣旨
これは、
「鳴かぬなら 大河で主役 ほととぎす」
と言われる、儂、徳川家康が令和五に注目を浴びるであろうとの報から、では事前に問答企画にて予備知識を皆に与え大河を百倍楽しもうではないかという趣旨である
皆と良き刻を過ごしたき我が想いよ、届け
前問答の答え
問:死期を悟った秀吉殿は豊臣政権を嫡男の秀頼殿に継がせるため、政治体制の強化を目指し
有力大名による五大老と直臣による五奉行の制度を定めた
五大老の内、秀吉殿に代わって伏見城下で政務をとった五大老筆頭の武将はだれじゃ
答:二、徳川家康
正解者よ、大儀であった
これらの制度はより良い政治を目的としたものではなく、
幼い秀頼殿を補佐し、豊臣家の安泰を第一に考えたものだと言えよう
五大老のうち特に実力者であった前田利家殿に秀頼殿の後見役を任せ、政治のことは儂徳川家康に任せることで、当面の安泰を図ったのじゃ
。。。
第五十二問
問:関ヶ原の合戦の最中、どちらに味方するかはっきりしない西軍小早川秀秋に対し、儂徳川家康はあることをして東軍に味方させた
どのようなことだったか
一、家康が大声で怒鳴った
二、鉄砲を撃ちかけさせた
三、褒美を書いた矢文を送った
四、叔母のおね(秀吉の妻)に説得に行かせた
五、どうする家康
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では答えは次回の発表であるぞ。心待ちにせよ。
皆からの質問
加え、皆からの質問に一つ直々に答えようぞ
故に知りたきこと、解らぬ事が在らば聞け
此度はこの質問に答えようぞ
家康様の究極の選択といえば何でしょう?
答:究極の選択かのう
それは、天下泰平への一手であってであろう我が嫡男松平信康(のぶやす)を、もう一度人生をやり直したとして繰り返すか否かであろう
我が子を手掛ける以上の不幸は親としななかなかなき事よ
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この問答企画で儂徳川家康を学び大河ドラマ“どうする家康”を百倍たのしもうではないか!
家康
コメント
将軍様
尾張も梅雨入りとか
暑い熱い日々が今年も巡って参りますね
呉呉もご自愛忘れずになさって下さい
今回の問答は…
通説でよろしいのでしょうか?
二、鉄砲を撃ちかけさせた
お願い致します。
色々研究が進んで新しい説も出ていますけど
あれやこれやと想像を巡らせるのも楽しいことです
秀秋様にも怪しげな逸話が伝わっておりますが
家康様はどのような方だと考えておられたのでしょう
気弱で優柔不断?
それとも…?
お久しぶりです!
問答は2番で!!
プチ氷河期な戦国時代でも、夏の戦の暑さ対策はありましたか?
大御所様
ご無沙汰致しておりますが
息災で在らせられる由…祝着至極に存知上げます。
早速にございますが問答のお答えを申し上げます。
二.鉄砲を撃ちかけさせた
近頃は当時の研究も随分進んだようです。何時放送されたかは失念致しましたが、歌舞伎役者の片岡愛之助丈が司会をなさった歴史番組で、大御所様が命じられた鉄砲(俗に言う言問鉄砲)の音が、小早川軍の陣地まで果たして聞こえたか否か?の実証実験を見ました。
その実験では何十万人もの人々の声や馬の嘶き声や疾走音、鉄砲に刀や槍、弓矢の音等に掻き消され、小早川軍の陣地まで鉄砲の音は聞こえませんでした。
大変興味深い内容にございましたが、現世では誰も見聞きした者はおりません。大御所様に於かれましても、四百年もの長きに渡って眠りについておられた故、記憶が曖昧になったとしても致し方の無い事かと…
そこには現世に生きる私達にも、推理や考えを巡らせる余地がございます。故に歴史は面白い!この頃私はそう思うようになりました。
唐突に長々と失礼致しました。
家康様の怒鳴った声が聞こえたら、それは通るお声で素晴らしいと思うのですが、少し離れておいででしたので、
二、鉄砲を撃ちかけさせた
だったはずです。大砲でしたか?
小早川様も悩みすぎて病気になってしまったと、お聞きしております。どちらを選んでも結局は後悔されたのではないかと。
戦国武将、長生きできないわけですよね…
あ、家康様は…失礼しました。
家康様が小早川様の立場でしたらどうしたでしょうか?
小早川様は何を重んじて東軍に味方されたのでしょう?
家康様も利家様も秀吉様の信頼がとても厚かったから託されたんですね(╹v╹)
政務とか家康様すごく強そうな感じがしますし(*´ω`*)
今回は4番で。なんとなく知ってる気がします(╹ω╹)
究極の選択が究極の選択は素晴らしい表現で素敵です(*´ω`*)
家康様の答えを聞いて考えてみると「究極の選択」はどちらが「正解」かは難しい事ですね
でも「究極の選択」になってしまったらもうどちらも答えとかではないのかもしれませんね。
梅雨に入り雨の季節が過ぎるといよいよ夏本番ですが体調にお気をつけて健やかにお過ごし下さいね(*╹v╹*)
家康さま。こんばんは
本日は「来た文化小劇場」初戦仕舞
私も参戦できましたゆえ、家康さまがじっと物思う風情。ちぃと心配してもおりましたが
家康さまがもどかしさをもおつたえいただいたことにございましょうか?
円頓寺幕府は家康さまが人の世の太平を願い開いた2つ目の幕府
私はお仕事の都合もありあとは明日の昼の陣飲みにございますが・・・
家康坂が「花道での傾き」も見てみとうございましたね(#^^#)
初日。心に秘めておることは多かったかと思います。
されど。それもこのばで言の葉にしてくだされば幸い。
‥‥それでは家康さま。
武将隊13年
ナゴヤ座
・・・
さてさて私の戯言よりも此度の最終問答
こちらも。所説語られてもおりますが
徳川家康さまがが小早さまのいる松尾山に向かって「問鉄砲」(といでっぽう)を撃ち、これに驚いた小早川軍が西軍に攻撃を開始したというのが通説
・・・つまりは
「二、鉄砲を撃ちかけさせた」。。。を最終問答とさせていただきとうございます。
・・・・
舞台もある。トークもある
少しずつ禍を意識せぬ日々となって参るのにございましょう。
内容が途中で飛んでしまいましたので追記にございます。
400年前も現実なら、今この13年も現実。
そして今からも現実を想像される家康さま
先の大きな未来の目標に向かいその時々で指針は生まれるものかと思います?
ではでは。今今の指針は何にございましょう!?