織田家臣団30人毎日紹介 〜森蘭丸編〜

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皆の衆、息災であるか?

豊臣秀吉である!

 

此度は昨日の酒井殿との配信で決めた、

1ヶ月の取り組み「織田家臣団30人の紹介」をして参ろうと思う!

しかしながら、昨日の配信後に

「最初の者を誰にしようか」と迷っておった。

 

じゃが!

やはりここは皆が知っておる者から紹介していくのが良いと思うたで!

此度は森成利(蘭丸)殿について紹介して参る!

森成利(蘭丸)殿の概要

森成利(蘭丸)殿は

永禄8年(1565年)に生まれ、

天正10年(1582年)の本能寺の変にて信長様と共に亡くなった者である。

この者の名である「蘭丸」は皆も良く知っておると思うが、実はあの者自身「蘭丸」と言う名は使っておらず「乱」または「乱法師」と名乗っておった。

また諱は「成利」であり、「蘭丸」と言う名は後世の軍記物で使用されたものなんじゃ!

 

この者の父親は「攻めの三左」の異名を持つ森可成様、兄は「鬼武蔵」の異名を持つ森長可殿なんじゃ。

 

故に「美少年」の印象を持っておる者がこの現世では多いと思うのだが、実はあまり美少年ではなかったと言われておるんじゃが、、、

儂らの頃の「美」の定義は今とは全く違う故、もしかすると信長様には「美少年」に見えておったのかもしれぬな。

 

またこの者は「小姓」の印象が強いが、実は近江国内に500石の領地を思っておったんじゃ!

と言うことは、いち殿様ということでもあったんじゃな。

成利殿を秀吉が褒める

成利殿は儂と系統は違うが、賢い部分もあったんじゃ。

 

ある時、信長様に「障子が開いているから閉めてこい」と言われたことがあった。

しかし確認したところ障子は閉まっておった。

そこで、成利殿は一つの障子を開けて、音を立てて閉めたんじゃ。

その上で信長様に「障子は閉まっていた」との報告をしたそうじゃ。

しかしその報告を聞いた信長様は「音がしたのはどういう訳か」と成利殿を問い詰めた。

その問い詰めに対し成利殿は「『開いている』と信長様が言ったにも関わらず、閉まっていたとあっては信長様の粗忽と思われるから、閉めた音を周囲に聞かせた」と答えたそうなんじゃ。

 

この話から分かるに、成利殿は主君に取り繕うのがどえりゃあ上手かったということじゃ。

故に信長様が本能寺で亡くならなければ、成利殿は多くの国の主になっとたかもしれんのじゃ。

儂としては亡くなっておった方が

まとめ

さて此度の日記帳は以上になる!

毎日紹介の最初は成利殿であったが、これからもっと多くの家臣の方々を紹介して参ろうと思う!

故に明日も更新するで、見てってちょ!

 

次回は成利殿の兄上、森長可殿じゃ!

コメント

  1. ウゾウムゾウ より:

    秀吉様、こんばんは

    まずは昨日の電波戦、誠にお疲れ様にございました。
    そして!織田家臣紹介ブログの公開ありがとうございます。

    秀吉様からの視点で記された文章は、現世と400年前とは違うことや思い込みをくつがえしてくれるような、自分の視野のなんと小さなことか!とハッとさせられるような…
    こんなにおもしろき読み物が、これからさらに29人分も読めてしまうというのは、なんという贅沢でしょうか…!

    次の記事も楽しみにしております。
    此度もありがとうございました。

  2. ウゾウムゾウ より:

    殿下の本音が垣間見える「褒め」ことばに、
    クスッと口角があがってしまいました。

    現代とは異なる美の定義も、とても気になります。
    これからどんな美丈夫が紹介されるのか、何より今、
    蘇った殿下のすぐ近くにあられる利家様は、どんな紹介をされるのか?!

    織田家臣の御方々と殿下のエピソード(関わり)も合わせて、
    目が離せない連載が始まりわくわくでいっぱいです!

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