織田家臣団30人毎日紹介 ~佐久間信盛編~

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皆の衆、こんばんはじゃ!
豊臣秀吉である!

儂、豊臣秀吉が織田家臣団30人を毎日紹介する日記帳
此度は佐久間信盛様について紹介して参る!

信盛様の概要

佐久間信盛様は、
大永8年(1528年)に尾張国に生まれたお方である。
元々は織田信秀様に仕えておったのじゃが、後に幼い頃の信長様に仕えることとなった。

この頃の織田家は尾張国で勢力を拡大していたが、
天文21年(1552年)に信秀様が亡くなられると、織田家の家督を信長様が継いだのじゃが、
信長様を排除し、弟君である織田信勝様を当主にしようと画策する家臣たちが多く現れ、
信長様と信勝様は対立をしてしまったのじゃ。

この時、信盛様は信長様を支持し、信長様と信勝様が衝突し争った戦、「稲生の戦い」では
奮戦し、信長様の勝利へと貢献をした。
これ以降、信長様は信盛様を家臣団の筆頭格として重用するようになったのじゃ。

その後も信盛様は「桶狭間の戦い」や「姉川の戦い」などの多くの戦に参陣し、多くの武功をあげておる。
また、信盛様は情報戦や謀略にも長けておったのじゃ。

しかし、30年も信長様に仕えておったのじゃが、
突如、信長様から「19ヵ条の折檻状」を突き付けられ、織田家を追放されてしまったのじゃ。

この理由としては「一乗谷城の戦い」や大坂本願寺などの件に関して、信長様を怒らせたことが原因とされておる、らしいのじゃが。
儂はこの事に関しては詳しいことは知らない故に、気になった者は是非調べて見ると良い。

そのような事があり、信盛様は高野山へと行き、そこで出家をしたそう。
そしてその高野山にて亡くなられたそうじゃ

享年55であった。

信盛様を秀吉が褒める

信盛様は戦において、部隊が後退する際に最後尾に付く「殿」を得意としたお方。
「殿」というのは、敵の進撃を食い止めて本隊を守る危険な任務であり、
この儂も経験した事のある任務。

そんな任務を信盛様は全ての戦において成功していたことから
退き佐久間
という異名を持っておった。

儂も信盛様の殿はどえりゃあ凄いと思っておった故に、
真似をしてみたいとも思っていた所存じゃ。

まとめ

さて此度の日記帳は以上である!

この現世ではあまり良い印象を持たれていない信盛様であるが、
信長様のために尽力し、多くの武功をあげたことは紛れもない事実。
故にこの日記帳を読んだ者は信盛様を再評価してちょうでぇよ。

次回は佐久間盛政殿について紹介致す!

コメント

  1. より:

    秀吉様こんばんは

    佐久間信盛様 聞いた事あるなぁ。と思いながら読み進みました所
    あっ丁度先週大河で!納得!
    終わり方が寂しい感じでしたが、大河では分からなかった所が知れて良かったです。
    ありがとうございました

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