【唐突に始まる家康問答!其の九十九】〜大河ドラマ“どうする家康”まで待ちきった

日記

唐突に始まる家康問答!

趣旨

ようやく参ったこの時が

どうする家康年開始じゃ!

  

前問答の答え

問:水戸黄門で知られる徳川光圀は徳川頼房の三男じゃ

光圀からみて、
儂徳川家康はどんな関係(続柄)になるか

 

:二、祖父

 

 

正解者よ、大儀であった

 

光圀の幼名は長丸。

寛永五年(1628)六月に水戸藩の藩祖・頼房の三男として水戸城下で生まれたのじゃ

寛永十年(1633)十一月に世継ぎに定められ、翌月から江戸小石川の藩邸で世子教育
を受けることになった

翌十一年には将軍・家光に拝謁し、同十三年に元服し、光圀の名前は家光からおくられたものである

 

 

 

。。。

第九十九問

問:寛永十一年(1634)より開始された日光社の大造営(大規模増改築)に合わせ三代将軍・家光は岡崎の寺社を次々と修復・整備したが、
それらはどのような寺社だったであろうか

 

 

一、松平、徳川ゆかりの寺社

二、皇室ゆかりの寺社

三、東海道沿いの寺社

四、三河一向一揆の際に儂徳川家康が破却した一向宗の寺社

五、どうする家康

 

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では答えは次回の発表であるぞ。心待ちにせよ。

皆からの質問

 

加え、皆からの質問に一つ直々に答えようぞ

故に知りたきこと、解らぬ事が在らば聞け

 

此度はこの質問に答えようぞ

写し絵は仙台遠征のご馳走でしょうか?
美味しそうですね。
「では答えは次回の発表であるぞ。心待ちにせ
よ。」のすぐ下のお料理は何でしょうか?
じっくり眺めてみたものの、分かりかねます。
解説していただければ幸いです。

答:これじゃな。

ホヤじゃ

季節が最後ということもあり、特別に我が膳に出されたものである

 

 

 

 

 

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この問答企画で儂徳川家康を学び大河ドラマどうする家康を百倍たのしもうではないか!

家康

 

コメント

  1. 善か朗 より:

    政宗様もお元気そうで何よりです。
    ご馳走たくさんお召し上がりになりましたね。
    ホヤ お酒のアテに良い感じですね。

    この度の問答は 一、松平、徳川ゆかりの寺社
    でしょうか?
    家光様が色々、家康様ゆかりの場所を改修されたようなお話は聞いたことがあります。
    お祖父様を尊敬してらっしゃったとか。

    今回の大河ドラを拝見していて思ったのですが
    築山殿、於愛の方、阿茶局・・・と敬称?呼び方違いますが
    これはどうしてでしょうか?

  2. Pちゃんママ より:

    大御所様
    仙台遠征時の写し絵を沢山あげて下さって有難う存知ました。
    あのお写し絵はホヤにございましたか!
    ホヤは足が早いため、余程新鮮でないと淀川の鯉(若しくは鯛の刺し身!?)の二の舞になる故、この時節にはあまり供されないと伺っておりますが、流石は目利きで自ら包丁を手に料理をなさるのが趣味の食通の政宗様にございますな…ご無事で何よりですε-(´∀`*)ホッ
    ところで此度の御下問のお答えは一、松平、徳川ゆかりの寺社にございましょうか?
    それから唐突ですが質問です。大御所は御遺言で、一旦久能山東照宮(「ソハヤノツルキ摸スナリ」を見て詣りました!)に埋葬した後、日光東照宮へ埋葬すべし。となさったのは如何なる理由にございましょうか?
    では季節の変わり目…体調等崩されませんようご自愛下さいませ。ご機嫌よう…

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