【 将軍実記〜家康問答〜 】

日記

唐突に始まる家康問答!

 

趣旨

 

さあさ、皆の者よ

此度も我がしたためし書をよく読んでくれた

今までは、大河を祝し我が人生にまつわる問答をもとに繰り広げておったが

皆の要望もあり、続けることとなった

故に、これよりも我が人生を通じて主らの生きる手助けになれば幸甚である!

 

 

 

 

前問答の答え

 

問:慶長四年(1599)、伏見城にいた儂徳川家康が、戦乱を納め平和な時代するには武士の意識改革が必要と考え、新しく始めたこととはなんじゃ

 

 

 

答:四、儒学(じゅがく)などを学ぶための本の出版

 

 

関ヶ原の合戦の前年に、儂徳川家康は既に平和な時代の実現に向けたプログラムの一環として、本の出版を手がけておった

 

漢文を印刷するのに何度も使い回しができる活字は最適で、約十万個の木の活字をつくり出版事業が行われたのじゃ

この時の本を「伏見版」と呼ぶ

 

駿河に隠居した慶長十二年(1607)からは朝鮮渡来の銅の活字にならい、やはり十万個強の銅の活字を鋳造(ちゅうぞう)し、出版を行っておる

こちらは「駿河版」と呼ばれておるのぅ

 

儂徳川家康は日本において初めて本格的な出版事業を行った人物で、江戸時代の出版ブームの先駆けとなったのである

 

。。。

 

 

 

問答

 

問:中山道を関ヶ原に急ぐ徳川秀忠軍は、信州・上田城で足止めされ、結果的に天下分け目の合戦に遅れ、儂徳川家康の怒りを買うこととなる

この時、秀忠をかばい、責任は秀忠の補佐役である自分にあると主張し、儂と秀忠の仲をとりもった徳川四天王の一人はだれであろうか

 

 

 

一、井伊直政

 

二、酒井忠次

 

三、榊原康政

 

四、本多忠勝

 

 

。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では答えは次回の発表であるぞ。心待ちにせよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家康

 

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