織田家臣団30人毎日紹介 ~森可成編~

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皆の衆、こんばんはじゃ!

豊臣秀吉である!

儂、豊臣秀吉が織田家臣団30人を毎日紹介する日記帳
此度は昨日一昨日と紹介した森長可殿、森成利殿の父、森可成様について紹介して参る!

森可成様の概要

森可成様は
大永3年(1523年)に森可行様のご嫡男として生まれたお方じゃ。
元々は美濃国の守護大名であった土岐氏に仕えておったんじゃが、「美濃の蝮」と呼ばれておる斎藤道三様が土岐氏を滅ぼした後の天文23年に信長様にお仕えをしたんじゃ。

可成様が信長様にお仕えした時の信長様の齢は20ぐらい。
そして弟君である織田信勝様との争いにも決着がついていない頃であったが故に信長様としてはやはり頼れる家臣が欲しいと思っておった。

そこに現れたのが槍の名手であった可成様じゃったが故に家臣団の中でも信長様の「右腕」と称されるぐらいに信頼されていた。

可成様は桶狭間の戦いにも出陣しており、その後の戦でも多くの功績を残した。
しかし、信長様と浅井殿、朝倉殿との戦いにて近江国の宇佐山城を護っておったんじゃが、
浅井殿の隊に多くの者が加わってしまったが為に宇佐山城の戦いにて命を落としてしまわれた。

享年48であった。

可成様を秀吉が褒める

先程、概要の中で「宇佐山城の戦いにて命を落としてしまった」と紹介したのじゃが、
実は可成様がこの宇佐山城や坂本の地にて浅井殿、朝倉殿の軍を妨害し止めておったが故に
信長様は浅井殿、朝倉殿に勝つことが出来たんじゃ。

また、宇佐山城も可成様の家臣の者たちが奮戦しておったが故に落城する事はなかった。

攻めの三左」という異名を持つこの方は、
信長様の為に戦い、信長様の将来を見据えて儚く散って言ったお方でもあるんじゃな。

まとめ

さて此度の日記帳は以上である!
一昨日、昨日と森家の者たちを紹介していったがどうじゃったか?
この3名の他にも森家には坊丸殿や力丸殿、また更には江戸時代まで生きた忠政殿までもおる。
気になった者がおれば是非、調べてみるのも良いかもなぁ。

次回は服部小平太(一忠)殿について紹介致すでな!

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