皆の衆、こんばんはじゃ!
豊臣秀吉である!
儂、豊臣秀吉が織田家臣団30人を毎日紹介する日記帳
最終回は柴田勝家様について紹介して参る!
勝家様の概要
柴田勝家様は、
大永2年(1522年)に柴田勝義様の子として尾張国愛知郡上社村にて生まれたお方である。
若き頃より織田家にお仕えしておったお方で、
信長様が家督を継がれた際には既に織田家の重鎮としてあった。
がしかし、勝家様は信長様のお父上である織田信秀様が亡くなられると、
信長様ではなく弟君である織田信勝様に仕え、信勝様を後継者にしようと画策を致し、
信長様に反旗を翻したのじゃ。
それが何度もこの日記帳にて紹介した「稲生の戦い」である。
しかしながら、この戦は信長様の勝利となり、
勝家様は稲生の戦いで共に戦った林秀貞様と信長様に謝罪をし、
忠誠を誓ったことで許されたのである。
(信長様の強さをここで知ったわけじゃ。)
その後はもう一度、信長様に反旗を翻そうとした元主君である信勝様の策略を
信長様にいち早くお伝えし、それを阻止することが出来た。
そして勝家様はこの時を境に信長様から信頼を得て、
織田軍先鋒などを任されるようになったのじゃ。
して信長様に従い、共に多くの戦へ参陣し、先鋒を自ら志願していった勝家様であったが、
天正10年(1580年)、信長様が明智光秀殿の謀反に遭い、本能寺にて亡くなられてしまう。
勝家様がこの報を受け取ったのは謀反が起きてから3日目のことであった。
すぐさま京に駆けつけようとしたその最中、
その時に戦っておられた上杉軍に足止めをされてしまう。
結果、近江に到着出来た頃には儂が既に「山崎の戦い」にて明智光秀殿を討った時であり、
勝家様は信長様の仇を討つことは出来なかった。
その後、織田家の後継者を決める「清洲会議」にて
勝家様は自らが烏帽子親となっておった信長様の3男である織田信孝様を後継者に推しておったのじゃが、丹羽長秀様が儂の意見に同調したことで後継者は信忠様のご嫡男である三法師様に決定。
その折に、勝家様は信長様の妹君であるお市様と婚約されたのじゃ。
(これは実を言うと儂が決めたことであって、勝家様にお市様を取られたようになっておるが、取られてないのじゃ)
じゃが、この後、勝家様は儂と対立を致し、
その対立はとうとう戦いにまで来てしまった。
「賤ヶ岳の戦い」にて儂は柴田様率いる柴田軍を破ると、
その勢いのまま柴田様が居城としておられた北ノ庄城を包囲。
追い詰められた柴田様は、お市様と共に自害をし、この世を去ったのじゃ。
享年は62であった。
勝家様を秀吉が褒める
勝家様は、
信長様に忠誠を誓った後は先鋒を任されることもあったが、勝家様自ら志願することもあった。
その自ら敵軍に突撃する勢いが我ら織田家臣の中でもどえりゃあ凄いと言われておったことから
勝家様は「かかれ柴田」と言われておった。
故にこの言葉を使い、安土の童たちが歌っておった童歌がある。
それは何かと申すと
「木綿藤吉、米五郎左、掛かれ柴田に、退き佐久間」
という歌。
それぐらい印象に残るようなお方だったのじゃ。
(この歌は儂も入っておるが故に、木綿藤吉の意味は是非調べてくれ!)
まとめ
さて此度の日記帳は以上になる!
1度は信長様に反旗を翻したが、その後は信長様のために織田家のために一生を捧げた勝家様。
その素晴らしい心は現世に蘇られてもちゃんと儂は生きておると思っておる!
(熊のような髭も健在じゃ)
して儂の1ヶ月の取り組みはこれにて終わりじゃ!
毎日更新して参ったが、今後もどこかで武将の話を致すでね!
待っておいてちょうよ!
コメント
殿下、一ヶ月完走お疲れ様でした!!!
様々な家臣の方々を知ることで、織田家の歴史もいろんな側面から見える気がして興味深かったですし、とても勉強になりました。
何より読んでいて楽しかったですし、たまに見える取消線付の殿下の呟きもよかったです(笑)。
また色々お話を聞かせてくださいね(*´ω`*)
殿下、1ヶ月間更新ありがとうございました!
織田家家臣団の皆様を広くわかりやすく教えてくださって大変勉強になりました。
ちょこちょこ本音の漏れる殿下の語り口が楽しかったです!あれを楽しみにしているところがありました笑
また他の武将様のお話も聞かせてくださったら嬉しいです!
また感想を話しにお城にも伺いますねー!
太閤殿下、こんにちは。
よく敵対関係のわかりやすい図として描かれがちな秀吉様と勝家様ですが、殿下の日記帳では冷静に織田家での勝家様の立場を経緯と共に分析するとともに武勇についてもまっすぐに評価されていて、
殿下が綴られてきた全ての文章もそうなのですが、歴史を「おもしろおかしく」語ることを誇張や嘲笑を交えることもなく、あくまで秀吉様の目線と素直なお言葉で、しかもそれは今目の前にいないひとであってもきちんと敬意を持って言葉を選んでいるように感じました。
ところで書籍化はされますでしょうか??
読み応えがあるともにとても読みやすい…他者を貶める要素が無いという意味で、本という形で手元に置いておきたいと心から思いました。
ともあれ、30名もの方々を毎日欠かさず語られたこの凄まじい偉業を見せていただき、ありがとうございました。
またどこかで他の武将様のこともお話しいただける機会も楽しみに待っております。