100名城の旅、二十八城目『盛岡城』

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皆々、息災であるか

前田又左衛門利家である。

此度の日記帳は100名城の旅、二十八城目である。

いざ参らん!!

盛岡城

此度紹介するのは、土の城が主な東北において珍しく、石垣で築かれた盛岡城である。

現世の岩手県にある城じゃな。

高い石垣が実に見事なこの城をさっそくみてまいろうではないか

 

交通・行き方

JR『盛岡駅』より歩いて15分、

道中は商店街になっておって、ゆるゆると楽しみながら進むが良かろう。

駅から城の近くにはバスも通っておるで、使えば幾分か楽もできる。

百名城スタンプの在り処

城内にあるもりおか歴史文化館にていただくことができる。

盛岡の歴史や文化はもちろんのこと、南部家にまつわる様々な品の展示がなされておるで印を集めることと合わせて確とみていくがよい。

盛岡城の歴史

盛岡城を築いたのは南部利直

東北で大きな勢力を誇った南部家の当主である。

前回紹介いたした根城の城主も南部家であったな。

根城南部家は盛岡城を治めし南部家の傍流にあたる。

南部家は利直の三つ上の代の当主である南部晴政殿の時代に、

『三日月の 丸くなるまで 南部領』

と歌われるほどに大きな勢力を誇り、

武勇はもちろん早くして信長様に使いを送り、半ば従属の意思を示すなど先見の明があるよき当主であった。

じゃが晴政殿の後継をめぐって争いが起こる。

晴政殿は子がおらず、縁戚の南部信直殿を養子として後継に定めていたのじゃが、

その後に子の晴継殿が生まれたことで両者の仲が険悪になる。

そんな混乱の中で東北の梟雄津軽為信殿に領土を削られるなど苦労したのじゃ。

晴政殿の後継には息子の晴継殿が治ったのじゃが、晴継殿は早くに亡くなってしまい本来の予定通り信直殿がおさまった。

のじゃが、これもまたのちに九戸政実の乱を引き起こすなど大きな禍根を残すこととなった。

様々な栄華と苦難を経験した南部家であったが、

信直殿が秀吉に従ったことで所領は安堵される。

その仲立ちをしたのがわし前田利家であるぞ!

利直の利はわしの文字、何を隠そうわしは利直の烏帽子親である!

秀吉の死後は徳川殿に味方してその勢力を維持しておる。

もともと南部家は三戸を居城としておったのじゃが、

三戸は奥まっておってやや不便であったために中央に近い盛岡城を築くこととするこれが此度の盛岡城というわけじゃ!

盛岡城があった場所にかつて不来方城と呼ばれし城があったことから別の名を不来方城と申す。

その後は江戸時代を通して安定的な政治が行われ、南部家が幕末まで治めておる。

見所

盛岡城の魅力はなんと言っても、

この美しい石垣じゃ!

この石垣は花崗岩で築かれておって、白が買っておるのがわかるじゃろう。

花崗岩は硬く丈夫で水分を含みにくく、さらには加工もしやすい石垣に向いた意思なのじゃが、もう一つの利点として白く美しいことも挙げられる。

故に美しい石垣が展開されておるぞ!

他にも内堀も残っておるし、

盛岡城内には現存の蔵である『彦御蔵』もあるで見落とすことなかれ!

何故か写し絵を残しておらんかったのじゃがな。

東北の城でここまで立派な石垣を見られるのはなかなかないでとくと見ていくが良い。

是迄の城(ばっくなんばぁ)

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コメント

  1. 良子 より:

    利家さま

    こんにちわ~
    土曜日の周年祭に昨日の街歩きツアーとお疲れさまでした
    そしてありがとうございました
    次から次への動きで追うのが精一杯でした
    もう一度観たいです

    盛岡城
    商店街をゆるりと歩いて向かうのもひとつの行き方ですね

    烏帽子親の意味がわからず調べてみました
    元服するときの烏帽子をかぶせてやり名付け親の一文字をつけるんですね

    一文字つけること烏帽子名って言うんですね
    生まれたのが現世でよかったです
    男子に限らずつけられますからね

    石垣は布積で打込接ぎですね
    今は違う見方をしてしまいます(笑)
    白色が引き立ち綺麗です
    中々足を延ばせる場所ではありませんが
    いつかは訪れたいものです

    今週は気温がさがるそうです
    体調管理に気をつけてお過ごしください

  2. 鯖tora より:

    利家様、こんばんは。
    何部利直様の利、同じ字なのだなぁ〜と思っていたら、まさかの関係アリアリだったのですね!!
    そう伺うと、これまで何度かお話にでてきた南部家が途端に身近に感じられるというか、東北の地がさほど遠くに感じなくなるというか、そんな気さえしてしまいます。笑

    盛岡城は花崗岩の石垣…✍️
    過ごしやすそうなとても素敵なところですね。
    後継争いがあったとはいえ結局幕末以降までお家が続いたの、良かったですね😊
    そんな歴史も感じながらぜひ行きたいと思います!現存の蔵も覚えておこう、、

  3. もち より:

    利家様こんばんは!
    贅沢に日記帳2回分纏め読みをしております

    周年祭に街歩きと忙しい中もたくさんの感動や学びがあり充実した週末を過ごせました。ありがとうございました!

    またまた出てきた東北地方の分断の話、東北にほとんど行った事がない私でもその両家の名前は聞き覚えがありまくるので本当に有力だったんだなと感じます
    せんべいとか三味線とかにも名前付いてますものね、納得です

    花崗岩が美しい石垣の写真も素敵で、こういった見どころをこれからも伝えてくださると嬉しいです。いつか絶対同じ景色を見に行きます
    もうすぐ待望の100名城のイベントですね。
    40頁にもわたる冊子を作っていただいたのもめちゃくちゃ楽しみです!残るもの嬉しい!!集めたいので続けて欲しいなぁ〜
    まずは日曜日のイベント期待しております!

    それではまた〜

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