皆の衆!
こんばんはじゃ!
豊臣秀吉である!
此度の日記帳は、
「愛知の神社巡り」を書き記して参る!
前回は尾張国二宮である「大縣神社」について紹介いたしたが、
次は尾張国一宮「真清田神社」を紹介するぞ!
いざ!
尾張国一宮 真清田神社
真清田神社は愛知県一宮市に鎮座する神社であり、
街の名にもなっている通り、ここは「尾張国一宮」の社格を持つ神社でもある。
御祭神は「天火明命(あめのほあかりのみこと)」
この神は天照大御神の孫神にあたり、
父神は天忍穂耳尊(あめのほしおみみのみこと)、
母神は栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)なのじゃが、
かの有名な天孫降臨の話がある瓊瓊杵命(ににぎのみこと)は弟神にあたり、
系統を見ても格式の高い神であることが分かるのじゃ。
しかしながら、真清田神社の御祭神には多くの説があり、現在は天火明命が御祭神となっているが、
我らの生きた時代から江戸時代と呼ばれる時代までは
国常立尊(くにのとこたちのみこと)が御祭神となっておった為、
今だにその真偽は不明な部分が多いとのこと。
じゃが、格式が高い神がおるのは間違いない。
現在の真清田神社社伝によると、創建は神武天皇33年3月3日となっておるのじゃが、
古文献を見ると初代神武天皇の創建とする説や第10代崇神天皇の創建とする説の2説が存在しておる。
この2つの説は中世以降に成立した説であり、真偽は今も不明とのこと。
また最初に紹介した「神武天皇33年3月3日」という説も、
元から存在した「桃花祭(とうかさい)」から創造されたという説もある。
このように多くの説があるのはそれ程に長い歴史があってのこと。
既にこの説らからも分かる通り、
熱田神宮よりも少しばかり長い歴史を持っているのがこの真澄田神社なのじゃ。
「一宮」としての記述が最初に出てくるのは永万元年(1165年)の
「神祇官諸社年貫注文」という書物であり、
平安時代末期以降には既に尾張国一宮の地位にあったとされておる。
じゃが、熱田神宮の回でも話した通り、
真清田神社より熱田神宮の方が位は高く、ここが矛盾するのじゃが、
それは熱田神宮の回で紹介しておるが故に、そちらを見てくれると有り難い!
平安時代には「真清田荘」として荘園化をしており、
八条院領のうち安楽寿院領の中に含まれておった。
また天文年間には佐分氏という者たちが神職を務めるようになり、
幕末の頃まで世襲しておったのじゃが、
この天文年間の中に大地震が発生し、社殿が崩壊したことで儂が社領を没収したこともある。
それでもって真清田神社の社勢は衰えた、とのことなのじゃが、まぁ、それは昔のことじゃ、、、
じゃが、そんな中でも江戸時代には徳川殿から庇護を受けて復興しておるらしく、
忠吉(徳川殿の四男)からは社領200石の寄進、
また寛永4年(1627年)には義直(徳川殿の九男)から105石余の寄進を受けておるそう。
故にこの神社は徳川家に縁のある神社でもあるんじゃな。
蛇足・謎の尾張国一宮
ここまで真清田神社の話をしてきたのじゃが、
実は一宮市にはもう一つ「一宮」を名乗っておる神社が存在しておる。
それは「大神神社」という神社。
「大神神社」と申すと神社に詳しい者であればすぐに思う場所があるわな。
そう、奈良に存在する「大神神社」
この一宮市に存在する「大神神社」も奈良の「大神神社」と同じ御祭神である
「大物主神」を祀っておるらしく、格式は真清田神社と同じで非常に高い。
じゃが、何故、ここも「一宮」と名乗っているか。
詳しいことは今だに分かっておらんらしいのじゃが、
社伝によると「真清田神社」が一宮になった時、共にこの神社も「一宮」になったとのこと。
現在は全国の「一の宮会」というものに属しておって、
この神社に行くと案内板にも「尾張国一ノ宮」の文字が見えるでね。
もし時間がある時に、真清田神社と共に訪れてちょ。
まとめ
此度の日記帳は以上じゃ!
真清田神社は古来よりこの地に鎮座しておって、
この街に住む民たちからは「真清田さん」とも呼ばれておる。
七月には「一宮七夕まつり」の会場になったり、
目の前にある「本町商店街」では不定期に催しも開催してるとのこと。
またこの神社は承久の乱にも縁がある神社だでね。
歴史がたくさん存在する、そんな神社になっとるぞ!
次回は信長様にも儂にも縁がある「津島神社」を紹介致すぞ!
あくせす
・真清田神社
・JR東海 東海道本線 尾張一宮駅から徒歩10分
・名古屋鉄道 名古屋本線 名鉄一宮駅から徒歩10分
・大神神社
・JR東海 東海道本線 尾張一宮駅から徒歩約20分
・名古屋鉄道 名古屋本線 妙興寺駅から徒歩5分
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