新太閤記 〜愛知の神社巡り「津島神社」〜

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皆の衆!
こんばんはじゃ!

豊臣秀吉である!

此度の日記帳は、
「愛知の神社巡り」を書き記して参る!

前回は尾張国一宮である「真清田神社」を紹介して参ったが、
此度は儂や信長様、そして徳川殿にも深い関わりのある「津島神社」を紹介するぞ!

いざ!

天王総本社 津島神社

津島神社愛知県津島市に鎮座しておる神社で、
京にある八坂神社と共に牛頭天王を信仰する神社である。

この「牛頭天王」っちゅう神は、
日の本における神仏習合がまだ行われておった時に出来た神であって、

迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされたのじゃ。

日の本古来の神である須佐之男命(素戔嗚尊)と同一神としており、
津島神社はそんな須佐之男命を主祭神としておる。

この須佐之男命(素戔嗚尊)っちゅう神は、
天照大神の弟神として古事記や日本書紀に登場しておる神であり、
八岐大蛇を退治した伝説を持つ神でもある。

そんな八岐大蛇を倒した際に尻尾から出てきたのが草薙剣
皇室の三種の神器の一つで、熱田神宮の御神体となっておる剣であるな。

 

話を戻すぞ。

伝承では、欽明天皇元年(540年)の創建とされておるが、
実際の創建時期ははっきりとはしておらん。

12世紀頃の文献には既に現れておるそうで、
鎌倉の時代から室町の時代にかけて作られた梵鐘や鉄灯篭には社名がはっきりと刻まれておる。

この津島という地域。
我らの頃も、それよりも前の時代も、ここは港が置かれた海の玄関口でもあったのじゃ。

それを貿易の拠点として使えると思い立ったのが、信長様のお祖父様でもある織田信定様
この津島の地にお屋敷を構え、
この津島から得た経済力が元に織田家は戦国大名としての発展の基礎が出来上がった。

そして、信長様もこの津島の地は大切にしておられておってな。
この津島神社も庇護を受けて社殿造営等の寄進を受けておる。

かくゆうこの儂も、この津島神社に楼門を寄進しておってな
その次に秀頼が儂の病の平癒を願って南門をこの津島神社に寄進しておるんじゃわ。

【儂が寄進した楼門】

故にこの神社は信長様にも儂にも縁がある神社であるのじゃが、

徳川殿の治世になると、津島神社の本殿を徳川殿の4男、忠吉が寄進したり、
尾張藩の庇護を受けて氷見家という者たちが代々、神主とする社家組織が確立したとのこと。

じゃが、明治の世になると、神仏分離令っちゅうのが発布された。

故にこの影響で境内にあった仏教的な要素は全て廃され、
ここで祭神を「須佐之男命」とし、「牛頭天王」という名は外しておったのじゃが、
津島の者たちはずっと「津島の天王さま」と呼び、それが今に至るというわけなのじゃ。

津島神社にはこんな流行歌もあった。

お伊勢に参らば津島へ参れ、津島参らば片参り

伊勢神宮が主祭神としておるのは天照大神。
故に伊勢神宮を参拝した後に津島神社も参拝しろ、っちゅう歌なのじゃ。

まとめ

此度の日記帳は以上じゃ!

織田、豊臣、徳川とこの三家から多大なる支援があった津島神社。
是非とも熱田神宮を参拝した後に津島神社にも参拝しに行ってくれ!

ちなみにじゃが。

この最寄りである津島駅を歩いておると、
この津島神社の近くには「清正公社」っちゅうお社があるでね。

もし時間がある者はそちらにも訪れてちょ。

ここは清正が幼き頃にお母ちゃんと暮らした街でもある故になぁ。

次回は儂のお母ちゃんが祈願をした「日吉神社」について紹介して参る!!!

あくせす

名古屋鉄道 津島線・尾西線 津島駅下車 徒歩15分

ばっくなんばあ

尾張国三宮 熱田神宮

尾張国二宮 大縣神社

尾張国一宮 真清田神社

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