織田家臣団30人毎日紹介 〜古田重然(織部)編〜

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皆の衆、こんばんはじゃ!
豊臣秀吉である!

儂、豊臣秀吉が織田家臣団30人を毎日紹介する日記帳
此度は古田重然(織部)について紹介して参る!

重然の概要

古田重然は、
天文12年(1543年)に古田勘阿弥殿の子として美濃国に生まれ、
後に伯父である古田重安殿の養子となった者である。

古田重然は一般的には「織部」との通称で知られており、また千利休に弟子入りをし、
利休の後継者として茶の湯を大成した「茶人」としてでも有名じゃが、
実は武将としての一面もある。

古田氏は元々、美濃国の守護大名である土岐氏に仕えていたのじゃが、
永禄9年(1567年)の信長様による美濃進駐の際に信長様に仕えたのじゃ。

重然はその時に重安殿に伴われて足利義昭様に属し、細川幽斎の使番を務めている。
また翌年の信長様の上洛に従軍し、摂津攻略にも参陣をしておる。

また、荒木村重殿が謀反をした際に起こった「有岡城の戦い」にて、
義兄の中川清秀を織田方に引き戻すことに成功しており、
その後は儂と共に播磨攻めを行ったりし、禄高は300貫と少ないながらも武将として活躍をしていたのじゃ。

そして信長様が亡くなった後には儂に仕え、
賤ヶ岳の戦い小牧長久手の戦い紀州征伐四国平定にも参陣しておる。

儂が死んだ後には徳川殿に仕え、関ヶ原の戦い東軍として属した為、
1万石の大名となっておるのじゃ。

しかしながら、大阪の陣にて徳川軍の軍議の秘密を大坂城内に矢文で知らせたとの嫌疑をかけられ、
大坂城落城の6月11日に切腹を命じられ、命を経ったのじゃ。

これに対して重然は一言も釈明をしなかったと、儂は聞いておる。

享年73であった。

重然を秀吉が褒める

重然は利休の弟子で「利休七哲」にも数えられておる者。

しかしながら、重然の名が茶会記に初めて登場するのが天正11年の齢40の頃であったことから、
若い頃はあまり茶の湯に興味がなかったらしいのじゃ。

しかし、利休にあった際に何かが変わったのじゃろうな。
利休が死んだ後は天下一の茶人にもなったおる。
利休の死の話はここでは避けておくでね、

しかしながら、儂も重然の茶は飲んだことがあるが、さすがは利休の弟子。
どえりゃあ美味い茶であったことを覚えておる。

まとめ

さて此度の日記帳は以上である!

茶人と評価されておる重然であるが、武将としても活躍しておる故に
この日記帳を見た者は武将としても評価してちょうよ!

次回は佐々成政について紹介致す!

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