大河開始(令和5年)まであと659日
【唐突に始まる家康問答!】
●趣旨
これは、
「鳴かぬなら 大河で主役 ほととぎす」
と言われる、儂、徳川家康が令和五に注目を浴びるであろうとの報から、では事前に問答企画にて予備知識を皆に与え大河を百倍楽しもうではないかという趣旨である
皆と良き刻を過ごしたき我が想いよ、届け
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前回の問答の答えはこれじゃ!
問:儂徳川家康の母・於大の方はどの武将の娘であったか答えよ
答:2、刈谷の水野忠政
正解者よ、大儀であった(全員正解であった。。。)
儂徳川家康の母・於大の方の婚姻は、岡崎の松平広忠様と刈谷の水野忠政様の間の政略的な内容であった
尾張の織田氏の領地に接する水野氏は、今川氏に服属する松平氏と縁戚関係を持つことにより、その勢いを牽制したと考えられておる
しかし、水野氏と松平氏の関係はこれより以前から深い結びつきがあったことも事実であり、於大の方は広忠様の父である松平清康様に請われて刈谷から岡崎に嫁がされた自分の母と同じ道を歩んだのであった
。。。
では今回の問答はこれじゃ!
第四問
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問:天文16年(1547)、6歳の儂徳川家康(幼名・竹千代)が人質として駿府の今川義元様のところに向かう途中、ある武将の計略により尾張の織田信秀様のもとに送られてしまった
幼い儂竹千代を奪った武将は誰であったか
1、鵜殿長照
2、武田信玄
3、戸田康光
4、水野忠政
5、どうする家康
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では答えは次回の発表であるぞ。心待ちにせよ。
この問答企画で儂徳川家康を学び大河ドラマ“どうする家康”を百倍たのしもうではないか!
家康
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