新太閤記 〜愛知の神社巡り「日吉神社」〜

日記

皆の衆!
こんばんはじゃ!

豊臣秀吉である!

此度の日記帳は『愛知の神社巡り』第四弾
儂とも関係の深い「日吉神社」について語って参ろうと思う!

いざ!

日吉神社の歴史

まずはこの日吉神社。

総本社は近江国は滋賀県大津市坂本にある日吉大社を勧誘し、
日の本各地に存在する神社なのじゃが、この尾張にも清洲城の城下にも存在をしておる。

この清洲の日吉神社は、光仁天皇の時代、宝亀二年、尾張国に疫病が流行した際、
この地に住んでおった民たちが須佐之男命を大己貴尊と合わせてこの地に祀り、
病災除去の氏神としたのが発祥とのこと。

その後の大同二年に橘逸勢(たちばなのはやなり)が社殿を建立したのじゃわ。
じゃがこの時はまだ「日吉神社」ではなく、「山王宮」と呼ばれておったそう。

「日吉神社」となったのは我が主君である織田信長様が近江坂本の日吉大社から大山昨神と摂社二十一社を勧誘したことから、

この「山王宮」が「日吉神社」となったのじゃ。

儂の幼名とも関係する神社

皆は儂の幼名は知っておるかの?

儂の生まれ故郷である中村は中村公園に行くと「日吉丸となかまたち」っちゅう像が立っておる。
儂の幼名は「日吉丸」

しかしながら、これは儂が太閤記を書かせた際に権力を示すために武家や公家の家でしか使われておらんかった「幼名」を作ったのじゃわ。

では何故、儂が「日吉丸」と言う幼名にしたか。

それはな。

この「日吉神社」が儂の出生に深く関わっておるからなんじゃ。

儂のおかあちゃんは実はこの清洲の生まれ。
そして生まれた場所の近くにこの神社があったんじゃ。

おとおちゃんと婚儀をあげた際、
子供が無事に産まれるようにと安産祈願をしたのがこの「日吉神社」

今でもその際におかあちゃんが触れ、祈願をした石が「子産石」として境内に残っておる。

そしてその翌年におかあちゃんは身籠り、儂が産まれた訳なんじゃわ。

故にその話を儂は昔からおかあちゃんに嫌と言うほど聞かされておった。
じゃがら儂の幼名を「日吉丸」としたわけなんじゃ。

狛犬ではなく猿

この日吉神社。
実は儂に関係をしとるっちゅうことで狛犬ではなく猿の像が本殿の前に二体置かれておる。


このことから愛称は「お申神社」とも呼ばれておるそうじゃ!

まとめ

此度は清洲城の城下にある「日吉神社」について紹介致した!

信長様が清洲に移られた際、この一帯に儂の屋敷もあった。
故に四百年前もこの神社にはおねとともに何度も訪れた記憶がある。

是非とも儂らが感じた息吹をこの神社にて感じてちょ。

次回は「城山八幡宮」について紹介致すぞ!

あくせす

名鉄名古屋本線 新清洲駅から徒歩八分

ばっくなんばあ

尾張国三宮 熱田神宮
尾張国二宮 大縣神社
尾張国一宮 真清田神社
天王総本社 津島神社

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