尾張自慢「百と十七日目」

日記

百と十七日目の尾張自慢

みなさま、おはようござりまする。

陣笠隊のなつでございます。

「尾張自慢」百と十七日目でござりまする。

此度ご覧いただきまするは、西南隅櫓でござりまする。

西南隅櫓

名古屋城の現存櫓の一つ、西南隅櫓(せいなんすみやぐら)はこの名古屋城がとある場所になったことがあることを示しておりまする。

それは、「離宮(りきゅう)」でござりまする。

離宮とは簡単にもうせば天皇様方の別荘の様なものでござりまする。

明治の時代に入ると名古屋城は陸軍の管理下に置かれ、取り壊しの危機を迎えましてござりまする。

しかしながら、全国屈指の名城として永久保存されることが決まると、宮内省が管理する『名古屋離宮』となり、天皇や皇后、皇族の宿泊などに利用されたのでござりまする。

現在名古屋城の正門外には「恩賜元離宮名古屋城」と書かれた石碑がござりまする。1930年に名古屋離宮は名古屋市へと下賜され、再び「名古屋城」と呼ばれるようになったのでござりまする。

他の櫓と違うもの

城内に現存する櫓は西北隅櫓、東南隅櫓、そして西南隅櫓の三つでござりまする。

それぞれに謂れのある櫓ですが、この櫓は特徴的でござりまする。

それがこの鬼瓦でござりまする。

名古屋城は一度宮内省(現在の宮内庁)の管理下に置かれていたとはいえ、元は徳川家のお城でござりまする。

つまり、元来この鬼瓦には葵の御紋が入っているはずでござりまする。しかしながらこの櫓の鬼瓦は菊の御紋でござりまする。

これは宮内省の管理下にあった1921年に石垣とともに崩壊しましたため宮内省によって修理復旧されておりまする。

そのため、鬼瓦などに菊の御紋が使われておるのでござりまする。

これを知らずに見ても何も気に留めることはないやも知れませぬが、知ってから見るとより深く興味を持つことができまする。

ぜひ目を凝らして見てみてくださりませの。

なつ

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コメント

  1. ひよどり より:

    なつさん
    おはようございます(^_^)
    本日も尾張自慢
    ありがとうございます♪

    昨日は電波戦の奇襲
    お疲れ様でしたm(_ _)m
    目と耳で楽しめる新鮮さが
    良かったです。
    夕方からの電波戦も
    楽しみにしてます(^w^)

    西南隅櫓の御紋
    名古屋離宮とは凄い名称ですね。
    高貴な方々が泊まって
    和まれる様子が目に浮かびます。

    なつさんが紹介されたものを
    実際に目にしていくのは
    楽しいでしょうね(*´-`)

  2. 相州姥桜 より:

    なつさん、お早うございます。
    四連休も最終日となりました。
    昨日の雨は残念でしたね。家康様の『無念…』の呟きがとても印象的でした(T_T)
    それでもCBC夏まつり等で皆様のお姿が拝見出来て嬉しいです。

    西南隅櫓に菊の御紋!
    名古屋城が離宮であったことはなんとなく聞き覚えがありますが、こんなところに名残があるとは驚きです。
    築城の頃、家康様も徳川の城に菊の紋が飾られるとは考えもされなかったでしょうね。

    では、今日も元気で参りましょう!

  3. より:

    なつさん

    こんにちは。
    西南隅櫓の菊紋は武将様のツアーで知りました。ただ訪れただけではなかなかそこまではわからないので名古屋城の歴史を知れてよかったな、と思います。

  4. おぐり より:

    勉強になりました。
    ありがとうございます☆

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