皆々、息災であるか
前田又左衛門利家である。
此度の日記帳は、
百名城の旅、第六回である!!
前回は備中松山城を紹介いたしたわな。
それでは!いざ参らん!!
岐阜城
此度参ったのは
岐阜城、である!
信長様が本拠にしておられたことから、まこと人気の高い城である!
城の周りはもちろん程近い岐阜駅には信長様の金色の像があったりも致す。
天下の名城として知られたこの城は様々な出来事の舞台となった場所。
此度は見所と合わせて岐阜城の歴史も紹介いたそうではないか!
交通・行き方
この城は岐阜駅からバスなる鉄籠を使うが良いであろう!
バスの案内板もわかりやすいが故に、焦らず調べればきっと正しく辿り着くであろう!
岐阜城の麓の公園には駐車場もあるで、車の者も安心であろう。
百名城スタンプの在り処
百名城の印判は岐阜城天守横にある岐阜城資料館にて押すことがかなうぞ!
見所
岐阜城はその堅牢さが肌で感じられる良き山城である!
中でも、難易度が幾つもある登山道はなかなかに登りがいのある良きものじゃ!
儂は無論、最難関である馬の背なる登山道に挑戦いたした!
見ての通り、ほぼ崖の如し道になかなか圧倒されたわな。
手を使わずには登れぬ場所もあった。
登った先にあるのは美しき天守。
復興天守ではあるがなかなか見ごたえ十分であろう。
じゃが、儂が一番注目して欲しいのは天守からの眺めである。
側を通る長良川と麓の山々からなる景色はまさに絶景である!
更に年に何度かは夜の公開も行っておるが故に、夜景も楽しむことができるのじゃ!
夜景好きの十吾にも教えてやろうかのう!
頂上まではロープウェイでも登ることができるで、行きは足で登って帰りはロープウェイで景色を楽しむのも良いかもしれんな!
天守近くにはリス園もあってかわええリスたちに癒されることもできるぞ。
岐阜城の歴史
岐阜城の歴史は古く鎌倉時代から城としては存在しておった、
じゃが、もとの名は 稲葉山城 であり、
岐阜城という名は後に信長様が名付けられたのじゃ!
戦国時代、長く使われておらなかった稲葉山城を改修し、
治めておったのは斎藤家であった。
斉藤家といえば、
我が主君、織田信長様の義父である
斎藤道三様が有名であろう。
じゃが、信長様と帰蝶様の婚姻を伴う同盟を結ぶまでは両家の関係は誠に険悪なものであって、
織田家は幾度も 稲葉山城 の麓まで攻め入るも城を奪えず徹底を繰り返しておった。
岐阜城の側を流れる長良川によって堅固に守られておって、その堅牢さは天下に轟いておったのじゃ。
斉藤家が親子の不和によって二つに割れ、道三様が嫡男の義龍殿に討たれると、
再び織田家と争うことになる。
よって信長様自身も兵を率いて出陣しておるのじゃが、この時も堅牢さに歯が立たず撤退なされた。
義龍殿は父に勝るとも劣らない才のある当主であったがために中々攻め落とせずにいたのじゃ。
じゃが、義龍殿が急逝するとその次に当主となった龍興殿はその若さ故に家臣団を纏めることができなかった。
不満を感じた竹中半兵衛殿による稲葉山城乗っ取り事件が起こるなど、
龍興殿による政治が上手くいっておらぬことは外へと伝わっておったのじゃ
これを好機と見た信長様は斉藤家の家臣を懐柔したうえで美濃に侵攻。
稲葉山城は懐柔された家臣たちが謀反を起こし、不利を悟った龍興殿は稲葉山城から落ち延び美濃国は織田家のものとなったのじゃ!!
信長様はこの城を本拠として、更に大きく強い国を作るべく名を改めた。
それが『岐阜』であったわけじゃ!
これはかつて中国にあった周の王が岐山の麓から天下をとった故事から岐の字を、
そして孔子様の生まれた地、曲阜から阜の字をとってこの名前となった。
まさに天下を取るための城と言えるわけじゃ!
この後に足利義昭を奉じて京に登ったのちも、信長様は京に長く留まることを好まず、この岐阜にて政務をなされておった!
それほど気に入った土地である証じゃな!
じゃが信長様が安土城に移られ、そして本能寺にて倒れると、その後は暗き話が多い城である。
次に入った信長様の三男信孝様は秀吉に攻められて降伏、後に切腹させられ。
信長様の嫡孫、三法師様は関ヶ原の前哨戦にて東軍に攻められ落城しておる。
その後は廃城となったのじゃが、現世においては戦国の象徴として多くの観光客が集う名所となっておるわな!
蛇足
此度紹介いたした岐阜城は信長様が最も長く本拠とした城である。
先にも申した通り、
信長様は京での役割が増していく中でもこの岐阜城から離れようされなかった。
少しでも早く岐阜と京を行き来するために、新たな街道を建設したことからも
信長様がこの地を愛していたことが分かるわな。
そんな岐阜の地は名古屋からも程近く、
名古屋城、あるいは犬山城と合わせて参るのも勧めであるな!
さて、此度の日記帳はこれにて終いといたそう。
百名城制覇まで残り九十四城。
次の日記帳も楽しみにして参れ!
さらばじゃ!!
コメント
利家様!日記帳更新して下さりありがとうございます✨️
今回は岐阜城の事についてでしたね!
私自身知らなかった知識が多くあって、お城の名前の由来が中国から来ていることが驚きでした😳信長様が余程このお城を気に入っておられたのだなということが文章から伝わってきました!(リス園すごく気になりました🐿笑笑)
さすが、利家様は険しい山道でも難なく登れてしまうのですね…!!凄いです👏
周年祭まであと少しですね…!当日が今からほんとに待ちきれません!!笑
利家様も、お身体には気をつけてお過ごしください🍀*゜
利家様こんばんは!
丸一日クルーズでのご案内お疲れ様でございました。
堀川にとどまらず様々な蘊蓄も聞けて、とても良い時間を過ごすことが出来ました。ありがとうございました!
今回は岐阜城なんですね。
登山口から行くところ…尊敬します。
けど一度登ってみたいなぁと思っていたので次回はトライしてみよう。
(まず長袖着ますね)
岐阜城は結構近いしその割に旅行気分も味わえるので大好きな場所です。
寒くならないうちに行かねば!
日記帳更新ありがとうございます
次回も楽しみにしております♪
利家さまこんばんは(*’▽’*)
今回のお城は岐阜城ですね✨✨ 登山口の完売に『老人は無理』と書かれてますが、400歳越えの利家さまは大丈夫でしたのでしょうか(笑)
山城の良さの1番は、やっぱり天守からみる景色ですよねー( ´艸`) 城下をみて、昔はどんな景色だったのかを考えたり、私は川や海沿いのお城が好きなので、長良川がみえるのも好きです。いつか川側からの岐阜城も見たいですね。次の日記も楽しみにしています✨✨
利家様こんばんは
岐阜城何年登ってないだろうと考え
あまりにも過去過ぎて驚く私(幼稚園児の頃かも)
あの時は多分ロープーウェイで登ったかと
あんな険しい登り道ある事すら知らなかったです。
天守閣からの眺めは最高でございますね。
遠くから岐阜城はよく見えるので、そりゃそうですよね。
夜景もさぞかし素敵な事でしょう。
さて、話は変わりますが明日は急な変更により城守りでご出陣ですね。
連日のご公務お疲れ様にございます。
名古屋城しっかり見て週末の検定頑張って下さいね。
それではおやすみなさいませ
利家さま
こんばんは~
本日は堀川クルーズ案内お疲れさまでした。
春とはまた違った景色でした。
賑やかなツアーでしたね。ありがとうございました。あっという間に一日が終わったようでした。
五条橋や福島正則様のワードで検定過去問にあった~
って頭の中がグルグルしてます(笑)
やっぱり利家さまですね。
自分の足で登られんですね。下山も自分の足だったりして‥
行った時は文明の力を使った私です(^^ゞ
100名城までひとつひとつ日記載せていただきありがとうございます。
気づいたらラスト
ってなってるんでしょうね。
次も楽しみにしてますね。
ゆっくりと休んでくださいね。
利家さま、こんばんは。
日記帳更新ありがとうございます( *´꒳`*)📖
岐阜城は最初に挑戦しようと思っている山城です、、
金華山ですよね!
馬の背登ってる動画を何かで見たことあるのですが、あれを登られたのですか!?さすがです。。
私はめい想の小道をゆっくり行くパターンで考えています。笑
しかし、駅から遠いなーと思っていたのでバスが出てるのは朗報です😆
岐阜駅は名古屋からも行きやすいから良いですね。
雪が降り出す前に行かないと…計画練ります。
信長さまって清洲城のイメージだったんですが、岐阜城の方が長いんですね。
利家さまに教えていただいたこと、着実に蓄積されております。笑
また次の日記も楽しみにしていますねー!!
今日は堀川クルーズ1日お疲れさまでした!
とっても楽しかったです☺️ありがとうございました。
明日もがんばってくださいませ!
いつも応援しています。
利家さま
おはようございます(^-^)
お忙しい中100名城の更新ありがとうごさいます。
随分前にリス園には行ったのに岐阜城には行かなかった事がありまして、近いのだから行っておかなければと数年前に張り切って行ってきました!
ロープウェイを利用しましたが。。。(≧∀≦)
天守からの景色は本当に素晴らしかった思い出があります。
手を使わなければ登れない登山道って本格的に登山じゃないですか〜
利家さまの体力と行動力にはいつも感心させられます(*´-`)
岐阜城の歴史を記して下さりありがたいです。廃城になった事や信長様が岐阜城をお気に入りだったとは知りませんでした。
昨日の堀川ツアーはありがとうございました♪
利家さまの解説を聴きながらの船は楽しくて贅沢な時間でした♡
熱田神宮の太刀を観にいきたいな〜
明日もお城へご出陣とのこと、連日のお勤め大変かもですが頑張って下さりませ(๑•̀ㅂ•́)و✧