新太閤記 〜愛知の神社巡り「桜天神社」〜

名古屋紹介

皆の衆!
こんばんはじゃ!

豊臣秀吉である!

此度の日記帳は『愛知の神社巡り』第十弾
『桜天神社』について紹介して参るぞ!!

いざ!!

桜通りの由来 桜天神社

「桜通り」

この道の名前は名古屋に住んでおる者、そして、名古屋に多く来ておる者なら一度は耳にしたことがあるであろう。

大きな道路に地下には市営地下鉄の桜通線が走っておるこの道。
しかしながら、この大通りには桜の木が殆ど見当たらない。

では何故、この「桜通り」っちゅう名前になったのか、気になる者もおるかもしれんわな。

実はこの名前、此度紹介する「桜天神社」の境内に桜の木があったから名付けられた名前なんじゃわ。

正式名称は「天神社」

信長様のお父上である織田信秀様が那古野城にて菅原道真公の木像を祀ったことからこの神社の歴史は始まる。

元々、この場所には信秀様が織田家の菩提寺である萬松寺を建てられた場所であり、
この菅原道真公の木像も萬松寺が建てられた際にこの場所に移動させられた。

今では四方八方を現世の櫓であるビルに囲まれておるこの天神社であるが、
萬松寺が建てられた頃は五万と五千坪の領地を持っておった。

そしてその後、名古屋城築城の際、この地に清正が陣を張ることを決めると、
ここにあった萬松寺は今の大須へと移されたのじゃわ。
故に今の萬松寺は『大須萬松寺』と言われておるわな。

『天神』とは今まで書いておった通り、菅原道真公を指す。

これは道真公が学問に秀でておったが為に、
亡くなった後に『学問の神』として太宰府に祀られたことに由来する。

この桜天神社も祭神は菅原道真公。

今のこの天神社には桜通りの由来となった桜の木はもうないのじゃ。
何故かと申すとこの桜の木は万治の大火にて焼失をしてしまったが為。

じゃが今でもなお、この場所に桜があったっちゅうことを神社は名前でも表しておる。

明治の折には『菅原神社』と改名したそうなのじゃが、
昭和の時代に改めて『桜天神社』として名前を変え、今もこの場所に鎮座しておる。

余談『前田家と菅原道真公』

菅原道真公と申すと、結構な歴史好きは『前田家』と結びつける者が多いかもしれん。

そう利家と慶次の家じゃ。

菅原道真公が祀られておる天神社は社紋として梅鉢を使っておる。
そして前田家も「加賀梅鉢」っちゅう紋を家紋としておった。

これはのお、利家の時は偶然だったのかもしれんが、
前田家が道真公の後裔と言うことを世に広めたのは前田利常(利家の四男坊)からなんじゃわ。

ここから利常以降の前田家の者たちは道真公の後裔として世に知れ渡ることとなったっちゅうわけじゃ。

この辺の詳しいことに関しては儂も利家も既に死んでおるが故に分からんが、
しかしながら我ら戦国大名っちゅうのは権威を示したいが為にこういった有名な人物の後裔を名乗ることがあった。

儂も一時期、平氏の後裔と名乗っておったからのお。

まとめ

此度の日記帳は以上で終いじゃ!

この桜天神社を含めて名古屋には山田天満宮と上野天満宮が存在する。
この三つを名古屋三大天神と呼んでおる故に、是非ともこの三社を周ってみてちょ!

次回は「富士神社」について紹介致す!

あくせす

名古屋市営地下鉄桜通線『丸の内駅』五番出口から徒歩約二分

ばっくなんばあ

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