100名城の旅、七城目『鹿児島城』

日記

皆々、息災であるか

前田又左衛門利家である。

此度の日記帳は、

100名城の旅、七城目

である!

いざ参らん!

鹿児島鶴丸城

此度紹介致すは、薩摩国(鹿児島県鹿児島市)にある 鶴丸城

九州の戦国大名、島津家の居城であるこの城は、

後に徳川家を倒し日ノ本を纏め上げる薩摩藩の拠点としても知られておる。

これまで紹介してきた城とは違った魅力が数多あるでな、

早速見てまいろうではないか!

 

交通・行き方

JR「鹿児島駅」より徒歩15

・市電「市役所」より徒歩10

・カゴシマシティビュー(バス)「薩摩義士碑前」すぐ

鹿児島空港から参るものは、市内行きのバスに乗り「金生町」で降りて徒歩10分である!

 

百名城スタンプの在り処

鶴丸城の印判は、鶴丸城本丸に建つ

『鹿児島県歴史・美術センター 黎明館』

にてもらうことが叶う!

この場所は歴史に関する常設展に加えて、特別展も開催されるで、展示も確と見ていくがよい!

じゃが、儂が足を運んだ折には休館日であった。

また改めて参るとして、

休館日の折には鶴丸城から歩いて5分ほどにある、

『西郷銅像前広場観光案内所』

にて印判をもらうことが叶う!

閉館が1530、ちと早いで時間に気をつけて参るが良いぞ!

鶴丸城の歴史

鶴丸城がある薩摩の地を治めておったは島津家である。

戦国最強の一家として名が知れておるわな。

日ノ本の中心から遠き場所にある故に、田舎大名と揶揄されたりもするのじゃが、

実のところ島津家は日ノ本有数の名家である。

源頼朝様の落胤を起源とする島津家は、

鎌倉時代から明治を迎えるまで九州南部を収め続けておったのじゃ。

戦国時代には島津貴久殿の子である

『島津四兄弟』の活躍によって九州のほぼ全土を収めるに至った。

織田信長様と信勝様や、伊達政宗と小次郎殿が代表的であるが、

優秀な兄弟が揃うと次期当主の座を巡り家中が分裂することもしばしばあった戦国時代において、優秀な四人の兄弟が共に協力して国を収めたのは珍しきことであるわな!

そして、此度訪れた鶴丸城を築城したのは島津忠恒殿

忠恒殿は島津四兄弟の次男義弘殿の子であるが、長男義久殿の養子となり島津家当主を継ぐこととなった。

その折に、島津がかねてより本拠としておった内城からこの鶴丸城に移った次第である。

鶴丸城の大きな特徴として、天守閣がないことが挙げられる。

これは現世に残っておらぬのではなく、そもそも築かれなかったのじゃ!

何故築かなかったのか、

それは徳川家に睨まれぬようにするためであった。

関ヶ原の戦を思い返して欲しい、

あの戦にて、島津家は西軍に味方しておったわな。

然りながら戦の最中は傍観に徹し、

西軍の負けが決まると義弘殿は軍を動かし、迫り来る東軍を真っ二つに裂きながら敗走していったのじゃ!

世に言う島津の退き口である!

では戦後の島津はどうなったのか。

 

 

なんと、どうにもならなかったのじゃ!!

 

 

西軍に着いたにも関わらず、異例の本領安堵であった。

西軍に有利な働きはしなかったとはいえ、

日和見を決め込んだ大名家も改易や減封の憂き目にあったことを考えれば、寛大すぎる措置であるわな。

これには、

最南端の地を欲しがるものがいなかったと言う説、

島津が琉球との関わり深い他、勝手がわからぬものには治めにくい土地であったことも一因である。

じゃが当主義久殿の外交手腕によってなぁなぁに済んだといったほうが正しいであろう。

様々な経緯があり本領安堵が叶った島津家であるが、

特別に見過ごされた過去がある以上、少しでも怪しい動きを見せれば改易の憂き目に遭うやも知れぬ。

それを恐れて、城の象徴で要でもある天守を作らなかったというわけじゃな!

徳川家の顔をたてたと言えるやもしれん。

 

これに加えて、

源氏の名家として、旧来の城造りをしたことも理由の一つじゃ!

当主の住まいを山の麓に、

城を背後の山に築く格式高い作りをしておったのじゃ。

島津家はその後は何事もなく江戸時代を過ごしたのじゃが、

江戸末期、薩摩が英国と起こした戦、

薩英戦争にて、この城は舞台となるのじゃ。

異国から攻められた城は日の本において唯一であろう!

なかなかおもしろき話であるな!

見所

この城1番の見どころはなんと言っても、

近年再建された御楼門である!

城の玄関にあたるこの門は、二層二階建ての櫓門。

その規模は日ノ本最大の城門である。

天守のないこの城の象徴とも言える場所じゃな。

この門は一度、明治の時代に燃えてしもうたのじゃが、現世の民の強き志にて木造復元が叶ったのじゃ!

令和2年に完成したばかり故に、今しか見えぬ美しさもあろうな!

この門に使われる欅は岐阜の山中から切り出されたもの。

名古屋城の本丸御殿との繋がりも感じることができるわな!

御楼門の他にも、雄大なる石垣もこの城の魅力、

中でも隅欠された石垣はこの城ならではの特徴といえよう。

これは鬼門、即ち北東の石垣の角を落とすことで厄災を遠ざけようとする意図があったのじゃ!

他の城ではあまり見られぬ作り故に確と見ていくが良えな!

 

先にも申したが、この城は幕末においても重要な地、

西郷殿が政府軍を相手取った西南戦争ではこの城の付近で激しい戦闘があったのじゃ。

西南戦争の弾痕が残る壁の他、

西郷隆盛殿の最期の地も歩いて行ける場所にある。

我ら戦国の歴史と、幕末の歴史を共に味わえる誠に良きところであった。

蛇足

さて、此度の100名城の旅は如何であったか!

 

これまでは中部地方の城を紹介して参ったが、これよりは九州の城巡りへと参る。

やはり場所によって城の特色も変わって参るでな、この後の城巡りも楽しみにして参れ!!

では皆の衆、次の日記帳にて会おうではないか!

さらばじゃ!

是迄の城(ばっくなんばぁ)

100名城の旅、一城目『金沢城』

100名城の旅、二城目『丸岡城』

100名城の旅、三城目『長篠城』

100名城の旅、四城目『彦根城』

100名城の旅、五城目『備中松山城』

100名城の旅、六城目『岐阜城』

 

 

コメント

  1. もち より:

    利家様こんばんは!
    早々に百名城続編が読めて嬉しいです。
    写真からも伝わる広々とした風景が旅情をそそりますね。
    旅行は日常から遠くに行く程幸福感が高まると聞きました。
    利家様の百名城の旅を冊子にしていつかあちこち旅に出る日を夢見ていますので、これからも続きを楽しみにお待ちしております。

    • 鯖tora より:

      利家さま、こんばんは😊
      日記帳更新ありがとうございます!
      なんだか眠れなくてこんな時間になっちゃいました😝笑

      鶴丸城、アクセス良いですね!
      行きやすくてそれだけでもう好きです笑
      天守を作らなかったとか、丑寅の方角の隅を取るとか、島津様はゲンを担ぐというか色々お考えが深い方だったのでしょうね〜
      慎重な印象もいたします。
      西軍でありながら江戸時代を越えてお家を長らえさせた島津家のアイデンティティみたいなものも感じます。

      そしてこの荘厳で立派な櫓門!
      1度自分の目で見に行きたいものです。。
      利家さまがいつも色々な角度からお城を紹介してくださるので、どのお城も1回くらい行った気になっちゃうんですけどね 笑

      また次の100名城も楽しみにしています〜!!

  2. 良子 より:

    利家さま

    こんばんは~
    本日は城出陣からのLINEの返信お疲れさまでした。
    次から次とLINEが届いたことでしょうね。
    返信ありがとうございました。
    このLINEはスクショして永久保存です。

    鶴丸城の紹介ありがとうございました。
    天守閣のなくても城と名前につくんですね。
    櫓門と聞いて名古屋城にも櫓門はありますね。
    今はついつい検定問題に重ねてしまいます(笑)

    御楼門はまだまだ檜の香りがするんでしようね。
    一度この目で見たいと思います。
    いつ行けるんだろうな‥(^^ゞ
    次の100名城も楽しみにしてます。

    本日はゆっくりとおやすみください。

    • 江戸のともぴぃ より:

      利家さまこんばんは。
      今回のお城は、鶴丸城ですね(*’▽’*)かなり南へ行かれてたんですね。私は住まい的に北の城に行きがちなので、南のお城は羨ましいです(´;ω;`)
      今は天守が再現されてない物もありますが、元々無いのは珍しいですよね。しかし、檜門からの石垣は良い味をだしてますね✨✨手前は空堀ですかね(´・ω・`) ちょっとガイドブックみて調べてみまーす!
      今年のお城エキスポの出陣があったら、是非利家さまもご出陣出来ると良いですね。

  3. miwa より:

    利家さま
    おはようございます(^-^)
    昨日はお城勤めからのラインの対応お疲れ様でした。
    お返事いただけて嬉しかったです♡
    是非参考に致します。
    鶴丸城は以前もご紹介くださったお城ですね(*’▽’*)
    前回の日記よりも更に詳しく記されていてありがたい!
    遠方はなかなか行けないですが利家さまの文章や写真で臨場感を味わえます。
    島津家の歴史も面白いですね。
    関ヶ原後の本領安堵はどんな経緯があったのか気になる。。(・ω・)
    また機会があったら教えて下さい♪
    これからも利家さまに確とついて行きますので15年目もよろしくお願いします‼︎ ٩(ˊᗜˋ*)و

  4. より:

    利家様おはようございます

    天守がなくても城門が綺麗でお見事
    白が青空で輝いて見えますね。
    鶴丸と聞くとつい刀が脳裏をよぎります。
    あれ島津様の刀?いや信長様で今は伊達家?
    しかし刀も白いイメージの擬似化なので
    この城門とピッタリでなんだか嬉しくなります。
    これは一度見に行かねばと思いつつも鹿児島は遠く感じます。
    だから利家様のこの写し絵で満足してます。
    さて、今日もお城守りでございますね。
    良き一日となりますように

  5. トメ より:

    おはようございます。
    鹿児島に行ってましたか!
    西郷さんの最期の地も近くにあるんですね。興味深いです。

  6. ともとも より:

    利家さま、お忙しい中、日記帳の更新ありがとうございます\( ˆoˆ )/
    鶴丸城、元々天守の無いお城だとは知りませんでした!それに纏わる歴史のお話もとても興味深く、繰り返し読ませていただきました。
    住居を山麓に城を背後の山に築くのが格式高い作りというのも初めて知りました。という事は信長さま時代の岐阜城もその作りだったのですね⁈
    御楼門や隅欠の石垣、弾痕、とても迫力があるお城、次に九州を訪れる時に行ってみたいと思いますo(^-^)o

  7. 希美 より:

    利家様こんばんは!お忙しい中日記帳を更新してくださってありがとうございます✨️
    今回は鹿児島県に行かれたんですね!
    島津家は関ヶ原での退き口での事で知っていたのですが、更に理解が深まりました!隅が欠けてる石垣なんて初めて知りましたし、御楼門も迫力が感じられました!分かりやすい解説もありがとうございます!

    周年祭まであと少し、胸の高鳴りが毎日止まりません!!利家様の演武での新たなお姿を拝見できることを楽しみにしております!

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