皆々、息災であるか
前田又左衛門利家である。
此度の日記帳は、
100名城の旅、九城目である!
いざ参らん!
大分府内城
此度紹介致すのは大分府内城
現世の大分県の城である!
天下人となった秀吉の命で築かれた強さと趣きを兼ね備えた城である。
早速見てまいろうではないか!
交通・行き方
JR『大分駅』から歩いて10分
百名城スタンプの在り処
府内城の南側の入り口、
大手門下にて頂くことができる。
大手門は、復元された美しい多聞櫓門である。
大分府内城の歴史
府内城のある豊後国は一時は日本一の勢力を誇った大大名、大友家の領地であったが、
秀吉の怒りを買ったことで改易となってしもうた。
その後に入った福原直高殿が領地を見聞し、守りに適したこの地に城を築いたのじゃ。
これは外様大名が多かった九州を監視し、おさえとする目的もあり、秀吉の命によるものであった。
直高殿の正室は石田三成の妹で秀吉からの信頼も厚く、この役目を任されたわけじゃな。
府内城の原型を作った直高殿であるが、
秀吉の死後に起こった関ヶ原戦いにて義理の兄にあたる三成のおる西軍につき、敗戦後に家康殿の命によって切腹して果てた。
その後に入ったのは竹中重利殿、
今孔明の異名で知られる竹中半兵衛重治殿の親族にあたる人物じゃ。
今残る櫓や石垣に加え、かつては海に面しておったこの城に船着場を築くなど、今の姿に通じる形は重利殿が普請したのじゃ。
その後の府内城は主君を変えながらも、藩の中心として明治を迎える。
先の戦で焼かれるも現存する櫓も残す貴重な城として現世と続いておるのじゃ!
見所
南側には三つの櫓があって、端の二つが立派に見えるであろう!
じゃが、塀の真中にある櫓こそが江戸時代から残っておる現存の櫓なのじゃ!
名を宗門櫓と申して、江戸時代には宗門帳、現世で申すところの戸籍簿を保管しておったことからこの名になったとされておる。
堀と石垣、塀を楽しんだところで城内へ参ろうではないか!
この大分府内城、なんと城内が駐車場になっておる!
車なる鉄籠に気をつけながら城内を散策致すと良い。
城内は宗門櫓を中から見るのを忘れるでないぞ!
城内の見所はやはり天守台と本丸櫓跡じゃ。
立派な石垣が出迎えてくれたわな。
続いて参るは天守台の北側にある廊下橋じゃ!
ここは屋根がある橋で手前には冠木門の礎石も残っておる!
他の城ではあまり見ることのない珍しく美しい橋であるぞ!
この橋を渡ると山里丸跡地じゃ!
山里丸はかつて能や月見などが行う場所で、この城の風格を感じ取ることができる場所となっておる。
今は埋め立てられておるが、かつては四方を堀で囲まれた孤島のような美しい場所であったと聞いておる
府内城の北側にはもう一つ現存の櫓、人質櫓を見ることができる!
二階建てのこちらも良き櫓じゃな!!
そしてこれもこの城の特色であるが、堀と石垣が段々状になっておるのじゃ!
これは元々府内城が河口に面しておって、河口からの侵入を防ぐ為に作られた帯曲輪と呼ばれる堤防型の土手があったことに起因しておる。
河口は埋め立てられ形が変わっておるが、土手は石でどのような形であったかを示しておって現世でも楽しむことができるぞ!
コメント
利家さま
おはようございます。
日記の更新ありがとうございます。
写真を見て足を運んでみたいと思います。
ちょっぴり行った気持ちにもなります。
冠木門は初めて見ます。
異空間への道?にも見えます。
な訳ないですね(笑)
百名城達成に着々と進んでますね。
次のお話も楽しみにしてます。
寒さが厳しい毎日です。
体調を崩すことなくお過ごしください。
利家様おはようございます!百名城の旅、次は何処を紹介されるのか楽しみにしておりました✨️もう九個目なのですね!
廊下橋が個人的にとても良いなと思いました!屋根のある橋って珍しくないですか…?!笑
写し絵からは、長い年月を経たからこその古き良き風格も感じられました!
冠木門の礎石も残ってるなんて凄いですね…!お城の歴史も含め、とても行ってみたくなりました!
寒い日々が続きますね…💦どうぞお体を大切になさってお過ごしください。
おはようございます。このお城は知らなかったです。
明日は雪に気をつけてくださいね。
利家さま、こんにちは❄
100名城の旅 更新嬉しいです😆🏯
大分駅から徒歩10分、行きやすくて有難いです 笑
金沢城や名古屋城もそうですけど、お城の周りに今も街がずっと栄えてるのってよく考えたら素晴らしいことだなって思います。
廊下橋美しいですね、、
これ嫌いな人いなそう、お写真で見てもめちゃテンション上がります✨
手前の礎石も想像が捗る。。行ってみたいな〜
利家さまは行きたい!て思わせるのお上手です😆
今日からとても寒いと聞いたので、お体にお気をつけて戦がんばってください!
気持ちはいつでも名古屋に飛ばして、応援しております〜!