100名城の旅、十四城目『佐賀城』

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皆々、息災であるか

前田又左衛門利家である。

此度の日記帳は100名城の旅、十城目である。

いざ参らん!

佐賀城

此度参ったのは佐賀城

肥前国、現世の佐賀県の城である!

戦国時代、

肥前の熊と恐れられた龍造寺隆信殿が治め、

その家臣である鍋島家が守り抜いた城である。

そして、この佐賀城を本拠とする佐賀藩は幕末の動乱において、

実に重要な役割を担った存在でもあった。

日ノ本の近世化への先駆けとなったこの城を此度は紹介してまいろう!

交通・行き方

JR『佐賀駅』のバスターミナルにて、

『佐賀城行き』に乗車し終点『佐賀城』で下車(乗車時間約15)

バス停佐賀城からは歩いてすぐである。

バスはそれなりに本数があるで難儀することもないであろう。

JR『佐賀駅』から徒歩でも40分程だで歩いて向かうのも良いやもしれん。

百名城スタンプの在り処

佐賀城内、本丸御殿の案内所にて頂くことが叶う!

本丸御殿をぐるり見終わった後に参るがよかろう。

佐賀城の歴史

佐賀城には前身となる村中城と言う城がある。

これは龍造寺隆信殿が治めておった城じゃ。

隆信殿は波乱に満ちた若き頃を乗り越え、めきめきと力を伸ばして勢力を広げ、

龍造寺家を戦国の九州三雄と呼ばれるまでに成長させた実力の持ち主である。

宣教師ルイスフロイス殿は隆信殿を『カエサル以上の決断力の持ち主』と評しておって、才ある武士であったのじゃ。

じゃが、勢いに乗っておった最中に島津家との沖田畷の戦いにて隆信殿は討死してしまうのじゃ。

主を失った龍造寺家を支えたのが重臣筆頭であった鍋島直茂殿であったのじゃ。

島津家に協力的な姿勢を見せつつも、天下人に最も近い豊臣秀吉に近づいて秀吉の島津征伐を促し、

秀吉の島津征伐が起こると先鋒隊として島津家を相手に多くの功をあげて秀吉から高く評価されたのじゃ!!

その後も外征や関ヶ原の戦いにて大きな功を挙げた直茂殿は家中からも、徳川家からも当主としての扱いを受けることとなる。

それを面白く思わない形式上の当主である龍造寺家との不和が起こるも、直茂殿は龍造寺家を立てる姿勢を保ち続けたのじゃ。

そして直茂殿の嫡男、勝茂殿から鍋島家が正式に佐賀藩主となり幕末へと続いていくこととなる。

して本題の佐賀城であるが、

龍造寺家の本拠としての村中城は、直茂殿が実権を握ってから幾度が監修が計画された。

じゃが、形式上ではあるがあくまでも村中城は龍造寺の城で直茂殿は別に蓮池城主としての立場を与えられておった。

故に主家への遠慮もあって実行に移されることはなかったのじゃ。

然りながら、関ヶ原の戦いの後に徳川幕府によって鍋島家が佐賀藩主として定められた折に重い腰を挙げて改修に取り組んだそうじゃ!

これが現世に残る佐賀城の始まりといえよう。

そして来る幕末においてこの佐賀藩は重要な役割を担う。

10代当主鍋島直正殿は才君として知られ、

危機的状況であった藩の財政を建て直したばかりか、才のある若者を育成することに力を入れて、

当時貿易を幕府から任されておったことを活用して異国の最先端の技術を藩士に学ばせておった。

幕末の動乱を読み切った男とも呼ばれる直正殿は、倒幕派に幕府方にも肩入れすることなかった。

にも関わらず新政府が樹立された折には、

有能な藩士が多いことから多くの佐賀藩士を政府の中枢に送り出すことに成功し、日ノ本の近世化に大きく貢献しておる。

そしてその中には日ノ本の人権を形作ったとも言われる江藤新平もおったのじゃ。

この佐賀城は江藤新平にまつわる展示も数多あるで見て行くがよかろう!

見所

佐賀城の入り口に早速一番の見所がある。

それがこの鯱の門と続櫓である!

この門は現存の門で重要文化財にも認定されておる!!

本丸の入り口にあるこの場所は明治維新ののちに起きた佐賀の乱にて激しい戦いが起こった場所でもある。

その時の銃弾痕がこの門には残っておって、歴史を伝える大切な場所じゃ!

城内に入ると本丸御殿が出迎えてくれる。

そしてこの本丸御殿、日ノ本で初めて木造復元された本丸御殿である!!

我が本拠の名古屋城の本丸御殿にも繋がる重要な場所でもあるわな。

大きさも日本最大級で、当時の藩主が暮らしておった風景を見ることができる。

して、御殿の中には実に多くの展示がなされておって映像の展示もたくさんあって実にわかりやすく歴史を知ることができるようになっておる。

儂が訪れた折には江藤新平没後150年の特別展が催されておって、幕末と近世について学びを得ることが叶った。

民の暮らしをだれよりも考え、佐賀の乱にて倒れた江藤新平殿に関しての展示は実に興味深いものであった。

建造物の他にも美しい石垣や水堀、

本丸御殿の復元されておらぬ場所の礎石なんかもあって、どこを取っても誠に良い城であった。

蛇足

此度は佐賀城を紹介いたしたが如何であったか!!

戦国においても幕末においても重要な役割を担ったこの城は紹介してきた通り重要な遺構も持つ城でもある。

百名城の中で、数少ない幕末について詳しく知れる城でもあるで立ち寄った折には確と学んでいくと、さらに歴史への理解が深まるであろう。

足を運んだものは我らの時代から今の時代に続くこの城を楽しんでいくが良い!

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コメント

  1. 良子 より:

    利家さま

    本日は堀川クルーズの出陣お疲れさまでした
    雨が降ってきましたが利家さまの乗船予定便は決行していただきありがとうございました

    前回とは違うお話を聞くことができてよかったです
    最後は雨が強かったですが濡れた身体をしっかりと温めて明日に備えてくださいね

    佐賀城
    桜が満開ですね
    よい時期に訪れらましたね
    きっと利家さまは佐賀駅から歩いたんですね
    (そこに目が止まってしまいました(^^ゞ)
    少しでも時間を有効を使ってるんだろうなと思ってます(笑)
    いつか足を運びたいものです

    本日はゆっくりとやすんでくださいね

  2. もち より:

    利家様こんばんは
    佐賀城の詳しい説明ありがとうございます!
    重文の続櫓に本丸御殿、見たいし入ってみたい〜!
    佐賀は行きたい場所のトップ5にずっと入ってる場所なので行けた際には絶対ここにも寄りたい!と思いました
    ばっくなんばぁも随分充実してきましたね!
    とても見返しやすいので助かります♪
    これだけの文章や写真を纏めるのは大変かと思いますが、毎回心待ちにしておりますので無理のない範囲でこれからも日記帳更新是非よろしくお願いします!
    (お好きな事なのでご自身楽しんでおられるとは思いますが)(それが一番です)

    それではまた〜!

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