新太閤記 〜愛知の神社巡り「七尾神社」〜

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皆の衆!
こんばんはじゃ!

豊臣秀吉である!

此度の日記帳は『愛知の神社巡り』第15弾
『七尾神社』について紹介して参るぞ!!

いざ!!

白壁地区にある小さな天神社

今や高級住宅街と呼ばれる東区は白壁地区。
ここに名古屋三天神よりかは知名度はないが、今なお、信仰が続いている天神社がある。

それがこの七尾神社

正式名称は「七尾神社」であるが、この地域では「七尾天神社」とも呼ばれている。

そもそも名古屋三天神とは山田天満宮上野天満宮桜天神社の3つのことを指す。

桜天神社は前にも紹介したわな。
「桜通り」の由来となった天神社で、大須に移動する前の万松寺があった場所。
そして清正が名古屋城築城に際し、陣を張った場所でもある。

話を七尾神社に戻すぞ。

ここの祭神は言わずもがな「菅原道真公」

加賀前田家。
要は一応であるが利家の御先祖様に当たる人物じゃ。

創建は1500年代初頭と言われており、
この時代はまだ名古屋城も然り旧那古野城も築城されていない。
故にここは今川氏豊様が入る前は一面、山林で寂しい場所じゃったそうな。

そんな土地にある修行僧が行基作と伝わる十一面観音像とともに修行を行なっていた。

ある日、その修行僧が山道を歩いていると天神池の方から7つの尾を持つ亀が背中の甲羅に何かを乗せ、修行僧の近くまでやってきた。
その甲羅を良く見てみると、菅原道真公の像で、その像を亀が木の下の石に置くと7周回って姿を消した。

そんな光景を目の当たりにした修行僧は菅原道真公の魂がここに御霊を祀れと言っているに違いないと思い、7つの尾を持つ亀の置物を彫り、亀が置いて行った道真公の像を祀る社を建てた。

この日を以て、七尾神社は創建の年である1500年初頭としておるそうなのじゃ。

なんとも不思議な話がこの七尾神社には社伝として伝わっておる。

そしてこの天神社が建っておる場所。
実は名古屋城築城後は尾張藩家老である成瀬家の中屋敷が建っておった。

何故、この場所に成瀬家が中屋敷を建てたのかは良く分かっていないとのこと。
成瀬家が所望したのか、はたまた、義直がこの地を与えたのか。

じゃがこの時代には天満自在天神信仰が高まっていたらしいで、もしかすると、
成瀬家がこの天神社を自分の屋敷内に入れたかったのじゃろうな。

、、、余談じゃが。

この神社のすぐ近くには明和高校が寺子屋として建っておる。
この七尾神社はそんな明和高校に通う若人たちが大学受験の為に訪れるかも知れぬが。

この明和高校は尾張藩の藩校であった明倫堂の流れを汲む寺子屋。
故に300年もずっと尾張藩との関係は続いておるのじゃろうな。

あくせす

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ばっくなんばあ

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