皆の衆!
こんばんはじゃ!
豊臣秀吉である!
此度の日記帳は
『愛知の神社巡り』番外編
儂に関係が深い「妙興寺」を紹介して参るぞ!
いざ!!
尾張国一宮 長嶋山妙興寺
妙興寺は尾張国一宮に存在する臨済宗妙心寺派の寺院である。
臨済宗とは、
臨済義玄という明国(今の中国じゃな)の僧が開いた仏教の宗派。
仏教には様々な宗派が存在するが、
この臨済宗と言われる宗派は禅宗と言い、簡単に言うと「坐禅をして悟りを開く」宗派である。
日の本にはこの臨済宗の他にも、
「曹洞宗」「日本達磨宗」「黄檗宗」「普化宗」の4つの宗派がある。
禅宗の中でも1番古いのが「曹洞宗」
1番新しいのが「黄檗宗」となっておる。
日の本に臨済宗を持ってきたのは、
まだ明国が宋と呼ばれていた時代に渡航した栄西と言う僧。
故に日の本では臨済義玄が始祖、栄西が宗祖ということになっておるのじゃ。
そんな臨済宗の宗派を持つ妙興寺。
元々、この寺が建っておる土地には奈良の時代に建っておった妙興寺廃寺
(名前が不明な為、現在はこう呼んでおるらしい)が存在しおったらしい。
しかし、その数百年後の貞和4年(1348年)に尾張国中島城城主であった中島蔵人公の次男が、
亡き父母の報恩に感謝するために創建したのが、現在の妙興寺の始まりである。
その後、足利将軍家の庇護などで室町の時代には最盛期を迎えることとなったのじゃが、
応仁の乱勃発後には足利将軍家の庇護も無くなり、衰退の一歩を辿っておった。
じゃが!
ここで出てくるのが儂、豊臣秀吉じゃ!
天正18年の話であるわな。
妙興寺の荒廃を憂いた儂が都から妙心寺の僧であった南化玄興を招き、再興させたのじゃ。
この頃に妙興寺は妙心寺派となり、妙心寺の末寺となったのじゃ。
そしてその後、秀次が200石を寄進し、さらには儂が300石の寺領を与えておる。
徳川殿の治世になると、徳川殿の四男坊である松平忠吉が200石減らすが、
寺領は尾張徳川家によって代々安堵されておる。
尾張の正倉院とも呼ばれる妙興寺
この妙興寺。
これだけの歴史を抱えておることから多くの重要文化財や有形文化財を所蔵しておる。
故に「尾張の正倉院」とも呼ばれるくらいらしいのじゃと。
その中でもなんとこの妙興寺。
儂の「肖像画」を所蔵しておるのじゃ。
皆が寺子屋の書物にて見るあの肖像画は、
おねが儂を弔う為に創建した「高台寺」の所蔵であるが、
実はこの妙興寺にも「紙本著色豊臣秀吉像」っちゅう名前で所蔵されておる。
この肖像画はごく稀にであるが、
隣接する「一宮市博物館」にて公開されることがあるそうな。
もし公開が叶った暁には、
是非とも儂の姿を見に行ってちょ!!!
蛇足
蛇足ではあるが、
この妙興寺は先ほども言うたように、足利将軍家の庇護になっておった時期もある。
儂の肖像画とともに室町幕府第6代将軍であった足利義教公の肖像画も所蔵しておるのじゃ。
またこの地には、新陰流の祖と呼ばれておる剣豪、上泉信綱公も立ち寄っておる。
そんな歴史が多くある妙興寺。
尾張に訪れてみた際には是非とも寄ってちょ。
あくせす
名鉄名古屋本線 妙興寺駅より徒歩7分
ばっくなんば
尾張国三宮 熱田神宮
尾張国二宮 大縣神社
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天王総本社 津島神社
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