100名城の旅、二十二城目『松本城』

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皆々、息災であるか

前田又左衛門利家である。

此度の日記帳は100名城の旅、二十二城目。

前回に続いて信濃国を巡って参った。

いざ参らん!!

松本城

此度紹介致すのは松本城である!

現存十二天守が一つ。

中でも松本城は随一の人気を誇る城である!

その大きさと黒く美しい様子は白く美しい姫路城と対として語られ共に大人気、城界の重鎮としても双璧をなす存在でもあるのじゃ!

此度は美しさ、規模、展示のどれもが傑作である松本城の見どころを紹介してまいろうではないか!

交通・行き方

JR『松本駅』より歩いて十分。

百名城スタンプの在り処

百名城の印判は松本城内にある松本城管理事務所にていただくことが叶う。

松本城の歴史

松本城 は我らが生きた戦国時代においては 

小笠原氏 の支城であった。

今話題の『逃げ上手の若君』にて登場する

小笠原貞宗殿の子孫にあたる家じゃな。

室町時代の小笠原家は泥沼の家督争いが何代にもわたって続いておって、

戦国時代には府中小笠原氏が治めておった。

武田信玄 殿による信濃侵攻によって落城し武田家のものとなるのじゃが、

その折に先鋒として活躍したのは、

府中小笠原氏によって信濃を追われておった松尾小笠原氏であった。

武田家が入ったことによって、支城であった松本城は北信濃侵攻の足がかりとして改修が施され、

武田家の重臣城不死身の鬼美濃こと馬場信春殿が入る重要な拠点となったのじゃ。

時代が進み信長様による甲州征伐の折には馬場信春殿の嫡男馬場昌房殿が守っていたが明け渡され、いち早く織田家に内通した旧武田家臣 木曽義昌 殿に与えられることとなる。

 

のじゃが、

 

その直後に起きた本能寺の変によって状況は一変。

信長様の専制により収まりかけていた戦の火種が一気に立ち戻り、日ノ本全土が不安定になった

中でも著しく煽りを受けたのが、ここ松本を含めた信濃や甲斐、上野であった。

 この辺りの話は前回の松代城の紹介の折にも少し話したわな。

その機に乗じた先の城主府中小笠原氏が上杉家の力を背景に旧領を回復、

したのじゃが、今度は徳川殿の庇護を受けた府中小笠原2が城を落とし府中小笠原氏2の城となる。

別れた家の中でさらに分裂したわけじゃ。 

その後北条征伐の後に関東に移封された徳川殿への抑えとして石川数正殿が入り、縄張り、天守を含めた大改修がなされる。

これが現世に残る松本城である。

その後に再び小笠原家が入るのじゃが五年を待たずに再び転封され、

その後は徳川家と繋がりが深い、戸田、松平、堀田、水野、再び戸田といくつかの家が治めて現世に至っておる。

ちなみに府中小笠原家は江戸時代に四つの家に別れそれぞれ領土を与えられておって、

松本藩の他に、

明石藩(明石城)、小倉藩(小倉城)、

中津藩(中津城)、三河吉田城(吉田城)、掛川藩(掛川城)、唐津藩(唐津城)

と転封を含めれば実に多くの名城と語られし城の主となっておるで、これからの100名城の旅でも耳にする機会があるであろう。

見所

松本城には入り口が二つある。

そのどちらにも一の門と二の門のそれぞれ二つずつの門が復元あるいは復興されておって、我らの時代の趣を感じられる良きものじゃ。

南にある黒門は復興の折に名古屋城の続櫓を手本にしたとも伝わるそうじゃ。

東の虎口の一の門は太鼓門と呼ばれ、立派な櫓門が再建されておるぞ!

この太鼓門枡形の映し絵の奥に大きな石が見えるのがわかるかのう。

これも実は見どころの一つじゃ!

松本城の鏡石は玄蕃と名がつけられておって、大きさは無論じゃが、自然の荒々しさを感じることができる形も魅力の一つじゃ。

近くで見ると誠に圧巻だで、訪れた折には必ず見てほしい。

そして、松本城の一番の見どころは言わずもがな天守である!

現存天守としては建物部の高さは姫路城に次いで二位、

石垣を合わせた高さは姫路城と松江城に次ぐ三位である。

むしろ石垣が低い分、建物の美しさが近くに感じられる城であるとわしは思うておる。

して、松本城の天守はいくつかの櫓が組み合わさった作りになっておる。

大天守天守の北側(右)には小天守とそれを繋ぐ渡櫓。

南側には月見櫓(左手前)と辰巳櫓(左奥)が並んでおって複雑な作りであることがわかるであろう。

複合式天守と連結式天守の特性を併せ持つ珍しい天守なのじゃ。

そして天守の中に進むと待ち受けるのは多くの展示と守りのための機構である。

多く見られる狭間や石落としは勿論であるが、

訪れた皆々が強く感じるのはきっと階段の急さであろう。

敵の侵攻を少しでも遅らせるための作りじゃが、その工夫を肌で感じることが叶う。

ちぃとばかり難儀ではあろうが、楽しみながら進むが良い!

天守からの眺めは直接訪れた時に見てほしいで載せぬが、松本城も実に良き景色であるぞ!

松本城といえば美しい水堀も見どころの一つじゃ!!

堀は川や海の水を利用することが多いのじゃが、

松本城の水堀は全て湧水である。

故に日ノ本随一の透明度を誇る水堀でもある。

透明度が高すぎるがあまり水底の水草が上から見通せてしまうがためにかえって濁っておると錯覚されてしまうほどじゃ。

自然豊かな信濃国ならばこその見どころが数多詰まった良き城であった。

蛇足

松本城は如何であったか!

日ノ本の城郭の代表の一つとも呼べる存在である松本城。

戦国から江戸へと時代が進むと築城技術の進歩や流行りによって白い壁の城が多くなった。

よって復元や復興されたものを含め今に残る城は白いものが多いのじゃが、黒い城というのもなかなか趣が深いであろう。

日ノ本らしい落ち着いた雰囲気と、最も好きな城として松本城を挙げる者も少なくないと聞いておるぞ!

さらに!

この辺りは善光寺諏訪大社といった歴史の深い観光名所も数多ある上に、飯がうまい!

特にこれからは秋の味覚が大いに楽しめるであろう。

信濃といえば蕎麦とわさび。山菜もうまい季節であるわな。

ちなみに儂の勧めは栗おこわじゃ!

食欲の秋と旅行の秋を共に楽しむにもあつらえ向きであるでな、皆も足を運んでみるが良い。

それでは皆の衆、次の100名城の旅も楽しみにしておれ!

さらばじゃ!!

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コメント

  1. 良子 より:

    利家さま
    こんにちわ~
    日記の更新ありがとうございます
    お天気もよくお城に青空が気持ちいいくらい映えてますね
    水堀も隅櫓も黒門に太鼓門と美しい一言につきません
    写真を見て行った気になってしまいそう
    いえいえ
    自分の目で見るべきですね(^^ゞ
    渡櫓も見たいです

    もっと目を引いたのが蕎麦とわさび、山菜、栗おこわ…
    お腹が空きました~(笑)

    次の百名城も楽しみです
    本日もよき一日をお過ごしください

    先日の音戯、楽しい時間をありがとうございました
    終わらなければいいのにと思ったのは私だけではないですよね

  2. より:

    利家様こんにちは

    それはもう昔の事ですが唯一行った事のあるお城です。(2つは除くですが)
    天守閣登るの大変だった記憶だけがしっかり残っております。
    あの時は百名城なんてなかった頃なのでとても静かに過ごせましたよ。
    あとは水堀が綺麗だな。という記憶
    こうやって振り返ると思い出す物ですね笑

    きっと沢山載せて下さった映し絵のおかげだと思います。
    ありがとうございます

    最後の記憶は お城見た帰りにお蕎麦と多分馬刺しを食べた記憶?

  3. トメ より:

    ここも行きたい!
    今日宇和島城に行こうか思ったんですが暑かったので辞めました。

  4. Pちゃんママ より:

    利家様
    日記の更新有難う存知ました。
    松本城
    「大河ドラマ どうする家康」の紀行でも紹介されておりましたが、青い空に黒壁が映え、湧き水を利用したお濠の水が大層美しいお城にございましたな…
    特に気に入ったのは月見櫓で、あの櫓にて中秋の名月を眺めたらさぞ美しかろうと思った事にございました。
    それにつけても名物の栗おこわとは…!!
    お腹が空いてまいりましたので、本日はこれにて…ご機嫌よう…

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