皆の衆!
こんばんはじゃ!
豊臣秀吉である!
此度の日記帳は久方ぶりに
『愛知の神社巡り』を綴ろうと思う。
長らく待たせたわな。
いざ!!
堀川開削に縁がある神社
洲崎神社は「洲嵜」とも書き、
この「洲」というのは「川の中にできた島」を表す漢字でもある。
故にこのあたりが島だったということが神社の名前からしてみて分かる。
信長様が若き頃に拠点とし、儂や利家も長く住んだ「清洲」も「洲」の漢字が使われておる。
今の清洲の市名は「清須」となっておるが、どちらも同じ意味。
五条川という川の中にできた島だったことから「清洲」と名付けられたのじゃ。
さてこの洲崎神社。
読み方は「すざき」ではなく「すさき」。
創建年は不明とされておるが、神社を調べる上で必要な書物
「愛知縣神社名鑑」にはこう書かれておる。
「『社伝』に貞観年間(859-876年)の頃の創祀という。又往昔出雲国稲田宮(安来市横田)の神を遷し祭て洲崎の鎮めたり」
西暦での859年頃というと儂らの時代よりもさらに前。
大体、都が京に移った辺りの創建と考えられておる。
この愛知縣神社名鑑の中では、
この洲崎神社の社伝によると、石神の導きで出雲国から素戔嗚尊がこの洲崎の地に来て鎮まったと伝えられておる。
素戔嗚尊はこの神社巡りでたくさん紹介しておるわな。
帝の祖先である天照大御神の弟神にあたり、八岐大蛇を倒し、草薙剣を天照に献上した神。
そして仏教の神である「牛頭天王」と同一神とも言われており、
「天王社」と呼ばれる神社や社はこの神を祀っておる。
この洲崎神社はそんな神を祀っておる神社。
「尾張國内神名帳」には「従一位 素戔鳥名神」と書かれておる項目がある。
この記述されておる神社は現在、分からなくなっておるが、
古くから素戔嗚尊を祀っておったと言われるのであればこの神社は洲崎神社のことを指しておると儂は考える。
従一位はどえりゃあ高い位だもんで、その神社がこの書物を書かれたときになくなっておるとは思いづらい。
江戸の時代。
徳川殿の治世には既に素戔嗚尊が祭神として定まっておったようで。
「広井天王」などと呼ばれておったらしい。
話が江戸の時代になったが故に、
ここからはこの洲崎神社と名古屋城、そして堀川の話をするとしよう。
この神社じゃが、現在でも堀川の隣に鎮座しておる。
しかし洲崎神社の横に「堀川」と呼ばれる川が出来たのはつい最近のこと。
創建した時には隣には小川しか流れておらんかった。
徳川家康殿が名古屋城の築城を儂恩顧の大名に命じた際、
その命じられた大名の中には我が子飼いの家臣であり、
加藤清正の親友でもある市松こと福島正則がおった。
市松は関ヶ原の戦いにて徳川殿に一番槍を任されるなど、儂の死後は徳川殿に大層機に入れておった大名でもあった。
故に徳川殿は市松に名古屋城へ物を運べるような川を作れと命じたのじゃ。
それがこの堀川っちゅう川の始まり。
市松はこの洲崎神社に陣を構え、この隣から南北に川を掘り進めていった。
そして名古屋城の付近は現在の朝日橋まで開削をして、水堀と繋げたのじゃわ。
反対側は熱田神宮の付近までじゃな。
じゃから、この洲崎神社は堀川の誕生話には切っても切れぬ存在の神社でもあるわけじゃ。
【蛇足】『天王社』は木瓜紋が神紋。信長様とも縁のある天王社。
天王社は各地に存在しておるが。
有名な場所を申すと、京都の「八坂神社」、尾張の「津島神社」であるわな。
この神社に共通しておるのは、まず祭神が同じっちゅうこと。
先程、本文でも記した通り「素戔嗚尊」が祭神となる。
『天王」っちゅうのはこの神を指しておって、
仏教の神である「牛頭天王」と同一神とされておるのじゃ。
ではなぜ仏教の神と神道の神が同一神とされておるのか。
それは我らの時代には「神仏習合」っちゅうものがあり、
仏教も神道も皆、同じ神じゃと信じておったのじゃ。
この神仏習合は江戸の時代が終わり、明治の世になると「神仏分離令」っちゅう法令が出されたことになる。
これにより仏教と神道は別物っちゅう考えが生まれ、現世でもその考えがあるわけなのじゃわ。
そしてこの素戔嗚尊然り牛頭天王を祀る神社は全て神紋と呼ばれる紋が「木瓜紋」である。
「木瓜紋」っちゅうのは信長様がお使いになれられておった「織田木瓜」が日の本では有名であるわな。
織田家の方々が使用しておったのはどえりゃあ有名であるが、
これは織田家の方々が神官を務められておった越前国は織田荘にある
「劔神社」が天王社でもあるが故にそこから取った家紋でもある。
他にも朝倉氏や滝川氏、有馬氏や大村氏なども使用しておった。
家ごとにそれぞれ紋の構図が違う故に色々と見るのも良いかも知れぬな。
じゃが現世での牛頭天王を祀る神社は全て「織田木瓜」に近い神紋を使用しておるところが多い。
都にある「八坂神社」や尾張津島にある「津島神社」なんかはその例としてあげられる。
これはこれらの神社が信長様の庇護を受けておる可能性が高く、
その証として「織田木瓜」に近い紋をつけておるのかも知れぬと儂は思っておる。
何にせよ、天王社と信長様は切っても切れぬ存在でもあるっちゅうことじゃ。
あくせす
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ばっくなんば
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尾張国二宮 大縣神社
尾張国一宮 真清田神社
天王総本社 津島神社
清洲山王宮 日吉神社
末森城跡 城山八幡宮
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名古屋大須 春日神社
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【番外編】長嶋山妙興寺
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