新太閤記 〜愛知の神社巡り番外編「円福山 妙厳寺(豊川稲荷)」〜

日記

皆の衆!
こんばんはじゃ!

豊臣秀吉である!

此度の日記帳は『愛知の神社巡り』番外編である。
豊川稲荷の愛称で知られておる「円福山 妙巌寺」について記して参る!

いざ!!

豊川稲荷の愛称を持つお寺

皆は「お稲荷さん」と言われると何処を思い浮かぶかの。
大抵の者は皆、都に鎮座する「伏見稲荷」を思い浮かぶ者が多いかもしれんわな。

日の本には「日本三大」っちゅう言葉がある。

七夕であったり、温泉であったりと。
様々なものや土地が大きい順にてそう呼ばれておる事が多い。

「お稲荷さん」にも「日本三大稲荷」っちゅう番付が存在する。
これもまた敷地や参拝客が多い順に並べられておる。

此度はその2番目に位置する「豊川稲荷」について記して参ろうと思う。

お寺なのに「日本三大稲荷」?境内に立つ鳥居の正体

「豊川稲荷」の正式名称は「円福山 妙厳寺」

「荼吉尼天」という仏教の神を祀っておる寺。

この「荼吉尼天」っちゅう仏は印度の神であり、
商売繁盛や開運出世のご利益を持っておるとされておる。

そう。

日の本にはこれに似た神として「宇迦之御魂神」っちゅう女神が存在する。

故に荼吉尼天は神仏習合の時代、
この日の本の神と同一神とされ、「お稲荷さん」として信仰されておったのじゃ。

じゃから「日本三大稲荷」はその殆どが神社なのに対し、
2番目の豊川稲荷だけは寺であるが番付に入っておるっちゅうわけじゃ。

神仏習合の影響か、

この寺には本堂へ向かう参道に鳥居が建っておったりと、
寺なのに神社の様な景色を見ることが叶う。

またこの豊川稲荷は今川義元様徳川家康殿九鬼嘉隆とも縁深く、
今も残っておる山門や伽藍を義元様が寄進や整備をされておる。

江戸の時代には大岡越前守で知られておる大岡忠相の信仰も受け、
江戸の街では大岡邸の一部に豊川稲荷を勧請し、これが後に豊川稲荷東京別院となったのじゃ。

じゃが、明治の世になると
時の政府は「神仏分離令」っちゅう法令を出したが為に、豊川稲荷も神仏分離の沙汰を受けることなった。

しかしながら、厳しい取り調べを受けたのにもかかわらず、
その翌年には稲荷堂を寺院鎮守として祀ることが認められたが、

当時、境内の参道にあった鳥居は全て撤去され、
また「豊川稲荷」や「豊川大明神」の称号は使用されなくなる。

現在、境内に立っておる幟に「豊川吒枳尼真天」と書かれておるが、
これは明治の世に使われた呼称の一つでもある。

が、人っちゅうのは新しい呼び方に慣れんものでの。
利家が「金沢城」ではなく「尾山城」っちゅう呼び方にしたかったのに、
結果的に利家が折れて「金沢城」の呼び方にとどまったと同じで、

この妙厳寺も程なくして「豊川稲荷」とまた呼称されるようになったのじゃ。

あくせす

名鉄豊川線 豊川稲荷駅より徒歩5分

JR東海 飯田線 豊川駅より徒歩5分

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