100名城の旅、三十九城目『太田金山城』

日記

皆々、息災であるか

前田又左衛門利家である。

此度の日記帳は100名城の旅、四十一城目である。

此度は日ノ本屈指の石垣と、日ノ本随一の籠城戦対策をもつ山城を紹介してまいろうではないか!

いざ参らん!!

太田金山城

此度紹介致すのは太田金山城、

またの名を新田金山城ともうす。

その名の通り新田家にゆかりのある城であるわな。

新田は徳川家の祖にあたり、徳川殿からしても肝要な地の一つといえよう。

この話は前々回紹介致した足利氏館でもちと触れたわな。

そしてこの城は前世の研究に大きく影響を与えた城じゃ。

早速この珍かなる城を見てまいろうではないか!!

交通・行き方

東武伊勢崎線『太田駅』より頂上へはおよそ50分。

気構えするやもしれんが、他の城は基本城の入り口までの所要時間が記されておるから、

そこから城に登ることを鑑みれば決して遠くはないでな、

臆さずに訪れるが良いぞ!!

百名城スタンプの在り処

100名城スタンプは山頂近くにある南曲輪休憩場に設置されておる。

駐車場からは徒歩15分ほど。

城を見る途中で忘れずに立ち寄るがよかろう。

太田金山城の歴史

金山城は鎌倉時代にあったともされておるが、その実はわかっておらん。

現世に続く金山城が築かれたのは、

1469年。応仁の乱から間も無くの時期である。

築いたのは岩松家純殿。

岩松家は足利市の支流であり、血縁から新田氏を称し、

後に新田宗家が滅亡すると新田氏の後継として扱われたのじゃ。

家純殿は幼少の折にこの新田の地を追われ苦難の時期を過ごしたのじゃが、

力つけ、50年以上の時を経て新田の地を取り返しておる。

その折に築かれたのがこの新田金山城であるわな!

戦国後期には岩松家の家臣、

由良成繁殿(はじめは横瀬を名乗っておった)が実権を握り、

戦乱の関東を戦っておる。

上杉謙信殿や武田勝頼殿からの猛攻を耐え抜き、

北条家からの攻勢にも抗った、堅城である。

最後は北条家に屈するも、

小田原征伐の折には助命され、家を残しておる。

この時に外交を行ったのは成繁殿の正室、

妙印尼殿、成繁殿亡き後に城を守り続けた戦国屈指の女傑である。

因みに豊臣方で取次をしたのはわし前田利家じゃ。

北条征伐ののちに金山城は廃城となるが、

江戸時代、徳川家遠祖の地として大光院が金山城の麓に築かれるなど、

整備されておったようじゃ。

見所

戦国期関東の城は土塁や堀切を活かした土造で大掛かりな石垣建築は存在しない。

これがこの太田城が調査されるまでの常識であった。

じゃが見ての通り実に豪壮な石垣が太田城には築かれておる。

この場所は大手虎口、

城の主要な出入り口故に誠強固なつくりをしておる!

緩やかに曲がり先が見通しにくく、

両脇には敵兵へ横から矢をかけるため石垣で高台を作り、

さらに進むと敵の足を止めさせるための土塁が待ち構えておるぞ!

実に良きつくりであろう!

して、石垣の下の方を見てみよ。

最下段が少し出っ張っておるじゃろう!

これは石垣の崩落対策として築かれたこの城の特徴の一つ、

アゴ止め石である!

山城に突如現れる石垣は趣深く、備中松山然り、我が気に入りの城である。

そしてこの城の特色の一つが池である。

日の池と

月の池

石垣で整えられた頑強なため池があるわけじゃ。

これは水信仰に用いられたようじゃ!

広く築かれた石垣の他にも、

山を切り開いた堀切も見どころの一つ。

勾配はそれほどでもないが、広い城故に、

山登り気分で訪れるが良いであろうな!

蛇足

太田金山城は如何であったか!!

石垣は確と整えられ歩くのにもさほど難儀せず、

日の本有数の整備が行き届いた山城である。

そして山頂からの眺めもなかなか良かったでな、

足利氏館や箕輪城と合わせて足を運ぶがよかろう!

この辺りの城は北条征伐の折にわしも訪れておったりするでな、

これよりの100名城の旅も楽しみにしておるが良いぞ!

それではまた会おう。

さらばじゃ!!

是迄の城(ばっくなんばぁ)

100名城の旅、一城目『金沢城』

100名城の旅、二城目『丸岡城』

100名城の旅、三城目『長篠城』

100名城の旅、四城目『彦根城』

100名城の旅、五城目『備中松山城』

100名城の旅、六城目『岐阜城』

100名城の旅、七城目『鹿児島城』

100名城の旅、八城目「飫肥城」

100名城の旅、九城目『大分府内城』

100名城の旅、十城目『岡城』

100名城の旅、十一城目『丸亀城』

100名城の旅、十二城目『平戸城』

100名城の旅、十三城目『多賀城』

100名城の旅、十四城目『佐賀城』

100名城の旅、十五城目『吉野ヶ里』

100名城の旅、十六城目『肥前名護屋城』

100名城の旅、十七城目『今治城』

100名城の旅、十八城目『湯築城』

100名城の旅、十九城目『伊予松山城』

100名城の旅、二十城目『上田城』

100名城の旅、二十一城目『松代城』

100名城の旅、二十二城目『松本城』

100名城の旅、二十三城目『安土城』

100名城の旅、二十四城目『山形城』

100名城の旅、二十五城目『久保田城』

100名城の旅、二十六城目『弘前城』

100名城の旅、二十七城目『根城』

100名城の旅、二十八城目『盛岡城』

100名城の旅、二十九城目『一乗谷朝倉氏館』

100名城の旅、三十城目『白河小峰城』

100名城の旅、三十一城目『会津若松城』

100名城の旅、三十二城目『二本松城』

100名城の旅、三十三城目『水戸城』

100名城の旅、三十四城目『佐倉城』

100名城の旅、三十五城目『根室半島チャシ跡群』

100名城の旅、三十六城目『松前城』

100名城の旅、三十七城目『五稜郭』

100名城の旅、三十八城目『仙台城』

100名城の旅、三十九城目『足利氏館』

100名城の旅、四十城目『箕輪城』

コメント

  1. 江戸のともぴぃ より:

    おはようございます(´・ω・`)
    先日の生配信で戦が忙しいとおっしゃってましたのに更新ありがとうございます。
    アタスが思う利家さまが好きそうなお城ランキングに入りそうな石垣と土塁ですね。←平城好きな民には頂上まで行けるか心配ではありますが、チャンスあれば伺いますww
    10月は盛り沢山なイベントにワクワクしています(*´ω`*)✨皆様方も家臣団のみんなも、体調管理はご自愛頂き、共に楽しめればと思います✌

  2. 良子 より:

    利家さま

    こんにちは~
    日記の更新ありがとうございました
    山城と読んで足が遠くなりそうな…
    でも載せていただいた写真は山城だけど私にも歩けそうですね
    石垣が近くで見られて当時はどんな景色だったんだろうと想像するのも楽しいですね
    いつかは足を運べるといいなぁ~って思ってます

    次の百名城の日記楽しみにしてます
    忙しい日々ですが体調に気をつけてお過ごしください

  3. ようこ より:

    利家様こんばんは!
    日記帳の更新ありがとうございます(^_^)

    太田金山城は頂上までで50分なのですね!
    たしかに入り口まで数十分かかる他の城に比べれば、行きやすいような気がします(笑)

    石垣や土塁、それに石垣のアゴ止め石や池など、随所に特徴があって見応えがありそうですね(^_^)
    整備されていて歩きやすそうなのも良いですね
    いつか足利氏館や箕輪城と一緒に訪れてみたいです!

    次回の日記帳も楽しみにしています!

  4. 小雪 より:

    夜分失礼いたします。ご更新ありがとうございます。
    「そしてこの城は前世の研究に大きく影響を与えた城じゃ」のくだりがよく理解できずにおります…前世の研究とはどのようなものでございましょう…?

タイトルとURLをコピーしました